ゲームを数時間触れてまず驚いたのは、路上ライブのシーンにて、テキストに連動して流れる音楽が変化する演出(いわゆるインタラクティブミュージック)が組み込まれていたことだ。
ゆずソフトは良くも悪くもコンサバティブの代表と捉えていたので、システムレベルでの挑戦があるのは正直意外だった。
本作にはこれに留まらない(さりげない故に見逃してしまうかもしれない)挑戦がある。この文章ではそれらがどれくらい成功していたかを追ってみたい。
ベテランゲームメーカーとして扱われるようになったゆずソフトを思わせるプロット
ゆずソフトの新作がバンドものであることが発表された時は戸惑った。「ぼっち・ざ・ろっく」や「ガールズバンドクライ」がヒットを飛ばす中で、安直にアニメシーンでの流行に追従している印象があったからだ。しかしプロットを確認すると、現在のゆずソフトの立ち位置を連想させるような内容に、ピリッと緊張が走った。
主人公である雪鷹は小学生から音楽活動を続けてきたベーシストであるが、いつの間にか音楽の楽しさが分からなくなっており停滞している。そんな時に拙いギターで路上ライブを行う陽見恵凪が現れ、初期衝動を思い出した雪鷹は恵凪とバンドを結成する。
正直に言うと、この雪鷹の悩みは具体性を欠きすぎており、作中の描写のみではよく分からない。それ故に作り手サイドの情報から推測させてもらうが、近年ゆずソフトは「PARQUET」のような全年齢作品の開発にトライするなど、会社の方向性を見直す時期があった。その後は成人向け作品の開発に戻り、タイトルにrebootという単語を含んだ「天使☆騒々 RE-BOOT!」がリリースされる。ゆずソフトは2人のディレクターが交互に入れ替わる体制を取っており、前作がFamishin氏にとってのreboot作なら、「ライムライト・レモネードジャム」はろど氏にとってのreboot作という裏コンセプトがあるのだろう。
ベテランバンドマンだが自己評価の低い雪鷹と、初心者だがやたら前のめりである恵凪という、好対照な二人が互いの足りない部分を補完し合う展開が自然と浮かぶとても良いプロットだ。しかし、何故かそうなってくれないのが本作の惜しい部分なのだが。。(後に詳しく触れます)

音楽とテキストを一致させることで得られる作品世界への圧倒的な没入
本作の白眉と言えるのが、ライブシーンでのステムを使った音楽演出だ。
冒頭で恵凪が路上ライブに挑戦するシーンでは、場を盛り上げるために雪鷹がギターの奏法をカッティングに変更するテキストがある。Enterキーを推してこのテキストに辿り着いた時、恵凪の歌が途切れないまま、ギターの音がカッティング奏法に差し変わるのだ。

テキストと音楽を完全に一致させることで、プレイヤーを作品世界へ没入させるこの試みは、ライブシーンの多い本作においてよく機能する優れた演出となっている。
これはインタラクティブミュージックの世界で言うところの縦の遷移と呼ばれるテクニックで、「ギターの通常演奏トラック」と「ギターのカッティング演奏トラック」を事前に用意しておき、あるテキストに到達したタイミングで再生するトラックを入れ替えることで実現されている。
イメージが湧かない人はゲームを立ち上げてサウンドテストを起動してみよう!路上ライブの曲は「Be brand new (Street)」だ。

STEMとは楽曲を構成する素材のことで、恵凪のVocal素材が2本、ギターの素材が2本用意されている。(1)の方が通常演奏で、(2)の方が雪隆がカッティングギターに切り替えた後の方の演奏になっている。Vocal(2)を再生してみると気づくが、実はカッティングギターのみでなく、恵凪のボーカルも力強い歌唱に切り替わっているのだ。恥ずかしながら、雪鷹の演奏に引っ張られて恵凪の歌い方が変化していることに、私はサウンドテストで初めて気が付いた。

本作ではステムを徹底的に活用することで、テキスト上で表現される内容とプレイヤーが耳にする音楽を一致させ続ける。
例を出すと、
- 初ライブで隠さんのギターが走り気味になるシーンでは、ギターのトラックがわざと下手に演奏したものに差し替えられている。
- 雪鷹と隠さんが二人で特訓するシーンでは、ギターとベースだけが再生されたバージョンの「明け星」が流れる
- 「RGB」の演奏中にシステムトラブルで雪隆のベースの音が出なくなるシーンではベースのトラックがミュートされる
- レモネードファクトリーの演奏中に、カメラが地下のライブハウスからその姿を中継する1Fの居酒屋へ移動する場面がある。この時音楽がTVのスピーカーから流れるチープな音に変化する。(Lo-Fiフィルターがかかる)
など。
全てを挙げようとするとキリがない。
逆にテキスト側が音楽へ寄り添っている場面もある。
河鍋音楽祭で「幻灯花火」を演奏する場面では、
いつもとは全然違う緊張感の中で響く、 隠さんのギターと陽見さんの歌声。
サビまで俺と衛哉の低音はなく、 少し寂しさを感じるような雰囲気が続く。
と言う風にテキスト側が楽曲の内容に具体的に言及している。

この時プレイヤーが耳にする楽曲はYoutubeで聞くことができる。実際にサビまでリズム隊の出番がないアレンジになっていることが分かるだろうか?
本作の座組ではFamishin氏が書いた曲をみちこ氏やAngelNoteがアレンジする工程を経るため、楽曲の全容が見えるまではかなりの時間がかかる筈だ。恐らくだが、完パケした楽曲が返ってきた後に、シナリオライターがテキストを書き直しているのではないだろうか?
推測でしかないが、執拗なまでにテキストと音楽を一致させようとしていることは確かだ。
作中で雪鷹が書いた曲が、劇中歌として実際に流れるのも見どころの一つだ。曲の内容はストーリーと深く結合するように設計されている。例えば雪鷹が作曲スランプに陥った経験を元に書いた「明け星」では、サビ前で「Em→D#m→Dm→C#m」のようにマイナーコードを半音ずつ落下させることで深く気分が沈んでいく様子を表現したかのような展開がある(動画の40秒から)。隠さんのコーラスがコードの入りの部分だけ挿入されることで、更に印象的な響きになっている。
こういった試みが可能なのは、作曲をゆずソフト所属のFamishin氏が担当していることが大きいだろう。作曲が先かテキストが先かは分からないが、チームメンバーの密な連携が功を奏している。
これらを収録したアルバムはサブスクで配信されており、全9曲36分という大規模なものだ。ゲームをプレイしていない時間もアルバムを聴くことで作品世界に触れ続けることができるという、「アイマス」や「ぼっち・ざ・ろっく」と似た仕組みが実現した。

これまでもゆずソフト作品では、声優のボイスに合わせて表情差分を変化させるなど、細部の作り込みで作品世界へ没入させる取り組みがあった。この拘りが本作においては音楽でも徹底されていると言えるだろう。
私はこの文章を書いている段階で本作を2周、3周とプレイしているが、そのモチベーションはテキストを読みながらゆっくり音楽に耳を澄ませることで、どこまで深く作品世界に入り込めるか試したいと言う気持ちから来ている。そうすると、初ライブの隠さんの演奏がなかなか酷いことに気づいたりと、新たな発見があるのだ。こういった楽しみ方は、他のテキストADVではできない本作独自のものである。
共通ルートはペルソナ型のヒロイン直列ストーリー
もう一つ、シナリオレベルの挑戦としてメインヒロインに順番にフォーカスが当たる構成がある。
本作の共通ルートでは、雪鷹らが結成するバンド「レモネードファクトリー」のバンドメンバーを集めていく過程が描かれ、恵凪→莉々子→杏珠→月望の順にフォーカスが当たるのだ。(厳密には莉々子だけ秘密を抱えた幼馴染という扱いのためエピソードが弱いのですが…)
これは「ペルソナ」や「ワンピース」のような典型的な仲間集めシナリオのフォーマットだ。新しいキャラクターが登場しては何らかの課題にぶつかり、主人公らと協力して解決を目指すことで、キャラクター紹介とドラマによるキャラ立てが丁寧に一人ずつ行われていく。
実は雪鷹の幼馴染以外のバンドメンバーは、全員がお嬢様学校に通っているハイソな人物という設定も上手い。抑圧の強い環境で息苦しさを抱える彼女らが、バンド活動を通して殻を破る姿が順番に描かれるという、カッチリとした型のある構成になっているのだ。「ペルソナ5」同様に、異なる学園に通うメンバーが音楽を通じて繋がるというのもロマンを感じさせる。
この施策はかなり上手くいっている印象で、共通ルート内のみでシナリオの山が数多くあり退屈しない上に、バンドメンバーの性格がプレイヤーにしっかりとインストールされる。
従来のゆずソフト作品では、最後にヒロイン別ルートがあるからこそ、共通ルートではキャラクター全員を満遍なく紹介する構成になりがちだった。しかし、バンド結成ものというジャンルを選択したことで、ついに暗黙のルールがひっくり返されたことが興味深い。
ここで面白いのは、フローチャートを見ると分かるように、この仲間集めシナリオのフォーマットが持つ力を強化するために各ヒロインのサブシナリオが挿入されることだ。

これらはフローチャートからクリックしないと閲覧できないという、過去のゆずソフト作品には無かった新システムとなっている。プログラマーを必要とするシステムレベルの改変をしてでも、仲間集めフォーマットの力を強化しようとする明確な意志があるのだ(アフターストーリーと同じ仕組みだろ!と言われたらそれまでですが)。
音楽をステム再生できるようにしたのと同様に、シナリオ側でもシステムレベルでの工夫により作品の強度が底上げされていることが分かるだろう。
自己変容にフォーカスした音楽描写
ここまでシステムの話ばかりに触れてきたが、テキストADVの主役であるストーリーでは何が描かれたのだろうか?主題である音楽は「ライムライト・レモネードジャム 」にとってどういった位置づけの存在なのだろうか?
実は主人公である雪鷹に訪れる試練の殆どは、作曲を通した創作の苦しみである。曲さえ完成すればバンドはとんとん拍子で人気を獲得するなど、まるで社会は存在しないような描かれ方をしている。
つまり本作は、10代の少年少女が音楽を通じて退屈な自分の殻を破る自己変容の物語であり、キャラクターの魅力を描くことに特化しているのだ。実際、ユーザーがゆずソフトに求めているのはこの方向性だろう。
プレイ中は、2019年にOVERDRIVEがリリースした「MUSICUS!」と見事に対照的だなと感じていた。あの作品は制作した音楽をどうやって世間に受容させるかまでを含めた、バンド活動の難しさを描く作品だったから。
音楽コミュニティを立体的に見せるためのキャラクター配置
その一方で、ライブハウスを中心とした音楽コミュティは立体的に書けている。
雪鷹の師匠でありライブハウスを運営するヒロさん、商業音楽の世界で活躍する那優花、ライバルバンドであるgem of rubbleの面々など、音楽に様々な立場で関わる人間を登場させることで、世界に奥行きを獲得している。
そういえばゆずソフトの過去作である「DRACU-RIOT!」では、各ヒロインのルートごとに印象的な上の世代のキャラクターを登場させることで、舞台となる海上都市に説得力を与えていたことを思い出した。
ヒロイン別ルートの成否のカギは”バディ”にあり
最後にヒロイン別ルートのシナリオについて。全ルートをプレイして驚いたのは、なぜかセンターヒロイン的存在である陽見恵凪のシナリオのみパっとせず、他のルートはすべて満足度が高かったことだ。
シナリオを読み直しながらその原因を探ってみたが、雪鷹とヒロインがバディ的な関係に至れるかが成否の分かれ目になっているように感じた。
美少女ゲームに頻出する物語のパターンとして、主人公がヒロインの悩みを解決する過程で関係性を縮めていくというものがある。これには落とし穴があり、主人公が過剰に干渉するとヒロインの主体性が失われ、キャラクターが立たないうえにドラマも弱くなってしまう。
恵凪シナリオはまさにこの典型で、共通ルートでは1人で路上ライブに挑む快活さを見せていた彼女は、雪鷹の援助なしには行動できない内気な人物に変貌していた。
他のヒロインのルートを見てハッとさせられたのは、彼女らはプレイヤーとして雪鷹と同等、あるいは格上の存在として描かれているゆえに、雪鷹が援助者として振る舞うことをブロックし、互いにサポートし合うバディとしての関係を結ぶシナリオになるよう導かれていることだ。バンドものというモチーフが意外な効果を発揮している。
初心者である陽見恵凪だけが、このフレームワークから弾き出されているという構図は、色々な意味で悲しい。(大前提として能力主義自体ファックですからね)
最初に書いた通り、ひよる雪鷹のケツを前のめりな恵凪が蹴り飛ばすようなシナリオが本当は必要だったのではないだろうか。
心が凍り付くようなことを書いて精神に強いダメージを受けてしまったので、ここからは明るく他のルートの話をしたい。
華のリードギターらしい音楽演出が豊かな隠さんルート

先述したステム演出の事例紹介で、隠さんルートばかりピックアップしていたことに気づいただろうか。華のリードギターということもあり演奏シーンが多く、ステム演出の恩恵を最も受けたルートになっているのだ。物語のクライマックスもライブでの隠さんのギタープレイが鍵を握るような展開になっており、バンドものに期待されていたであろう要素がここに詰まっている。
その一方で隠さんの抱える悩みはビターで、音楽活動において個性や主張は必要かという問いに向き合うことになる。
このエピソードを読みながら思い出したのが、YAMAHAから出版されている「作曲少女2」だった。ライトノベルの体裁ながら作曲の実用的なテクニックが紹介された名著なのだが、読者からの「作曲はしたいが表現したいものがない人はどうすればよいのか」という質問にうまく答えられなかったことがきっかけで、2巻にそのアンサーを組み込むことになった。
簡単にまとめると、創作行為は目的創作、手段創作、発散創作の3つに分類することができ、自分で用意したビジョンを実現するために創作する「目的創作」ができる人はごく僅かしかおらず、音楽に触れること自体が目的のため他者からのオーダーに基づいて創作する「手段創作」を専門とする人もたくさんいるのだという話が登場する。隠さんのエピソードは、まさしく自分の立ち位置がどれに該当するのかを自覚する話と言えるだろう。
雪鷹がヒロイン側のシビアな世界を垣間見る月望、那優花ルート
雪鷹よりも音楽経験が豊富なキャラクターとして、クラシックの世界で活躍する月望と、商業音楽の世界で活躍する那優花がいる。
共通ルートが雪鷹の居るバンドシーンにお嬢様学校出身のメンバーが招待されるかたちだったのに対して、この2人のルートでは雪鷹がヒロイン側のシビアな世界を垣間見るという逆の構成になっている。味変的な効果を与えながら、作品世界を拡張するよいエピソードだ。

月望ルートは純粋にシナリオの上手さが際立っている。冒頭でクラシック出身の月望への距離感を語る雪鷹の独白から始めているのもそうだが、ヒロインとの関係性の変化を確実に読者に伝える見せ場が段階的に盛り込まれている。雪鷹と月望が夜通しで作曲する場面は、ベースとピアノを重ねて曲の輪郭を固めていく姿が実際に音付きで描かれる面白いシーンになっている。
自身の属性を知り決断する莉々子ルート
莉々子ルートは、この手の作品で零れ落ちがちな”楽器演奏が好きになれなかった人”の話になっている。
莉々子の描写が面白いのは、ライブでリードギターを担当できる程の腕前を持っているにも関わらず、演奏を楽しむ感性を持たない自身の属性に気づきプレイヤーを辞める決断を下している部分だ。挫折話というよりは、自身が何者かを知りどんな役割を引き受けるかを決める姿が描かれる。実は隠さんルートと同じテーマを描いているのだ。

ただしその決断は本編が始まるよりも前に一人で済ませてしまっており、周りが見えていなかった雪鷹は遅れてそのことに気づくことになる。
彼女はプレイヤーではないから、夜の公園でブランコが揺れる音を聞きながら言葉で語ることでしか関係を更新できないという、他のルートとのコントラストが印象的なエピソードになっている。
恵凪ルートでやりたかったこと
くどいが恵凪ルートについても改めて触れる。
このルートが異色なのは、演奏を通じて離婚により離れ離れになった母親にメッセージを伝えるという、自己変容のみで完結しない他者を巻き込んだストーリーが描かれることだ。しかしこれが上手くいっていない。
多大なストレスにより恵凪がすっかり精神的に硬直してしまう展開は、前のめりさが長所な恵凪のキャラクターを封じ込めてしまう。そこから抜け出す方法も雪鷹が提示してしまうため、恵凪自身の心の動き(ドラマ)が弱いシナリオになっている。

また、通常の作劇でキャラクターの自己変容にフォーカスしないストーリーがどんな時に採用されるかというと、キャラクターを魅力的に描くことよりも物語のテーマの方にプライオリティを置きたいときである。しかし、恵凪と母はあっさりと和解してしまうため、このルートのテーマは最後まで読んでもみてもよく分からないのだ。
どうにもテーマなんて無くて、ボーカル担当のキャラクターだからこういうシーンが欲しいという要請が先にあり、オーダーを満たすようにシナリオが書かれたように見える。しかし、ボーカルらしい見せ場を作ることが恵凪のキャラクターを引き立たせることとイコールかというとそこには当然ずれがある。そのことを無視して強行突破している印象が拭えなかった。
センターヒロインである恵凪にこそ、自身に向き合いバンド内での揺るぎない役割を発見して欲しかった。例えばレモネードファクトリーのメンバー全員が思わず硬直してしまうような局面で恵凪だけが行動できるとか、そういったエピソードが見たかった。
音楽活動を通じて自分の役割を選び引き受けることを知る
本作はゆずソフト作品の中でも突出して落ち着いたトーンがある。それは恋愛が成就してハッピーで終わらず、音楽を通じて自分が何者であるかを認識して役割を引き受けるという、地に足がついた成長物語が描かれているからだと思われる。
その役割には、ライブハウスという場を守るヒロさんや、バンドの広報を担当する莉々子のように、バックアップする側の立場も含まれる。

共通ルートで描かれた仲間集めフォーマットという基盤の上に、こうしたキャラクターごとのエピソードが重ねられることで、プレイヤー目線ではレモネードファクトリーというバンドが成熟する姿を見届ける形になる。これが過去作にはなかった感動を生んでいる。
没入の終わり
これに対応するように、本作のラストではどのヒロインルートとも接続しないグランドエンドとして、卒業パーティでレモネードファクトリーが演奏を披露するショートエピソードが挿入される。バンドが「明け星」の演奏を開始するとともにスタッフクレジットが流れ出す。
私はここで一気に現実に引き戻されたのに驚いた。これまでレモネードファクトリーの音楽はテキストと結合した形で鳴らされていたから、よくあるクレジット画面がまるで作品世界からプレイヤーを追い出す儀式のように感じられた。ゲームがエンディングを迎えてショックを感じるのも本当に久しぶりのことだった。
ビデオゲームの進化において、表現のクリシェを疑い作品世界への没入度を上げる工夫を入れるのは王道のアプローチと言える。テキストADV界隈でここを突き進む作家といえば私にとってはニトロプラスの下倉バイオ氏で、それは常に奇策とも言える革命的なアイデアによって実現されていた。
ゆずソフトの「ライムライト・レモネードジャム 」は前述するような作家とは真逆なコンサバティブなスタイルで戦っている。それなのに、偏執的な作り込みにより表現の水準を上げることで高い没入が実現されている事実に、ひどく感動してしまった。
