20200913 ノーライフキングを読んだ

思いの他刺さって一晩で読んでしまった。

ノーライフキング』はいとうせいこうの著作で、早い時期からビデオゲームを取り上げた小説として紹介されることがある。糸井重里ドラクエに影響されて『MOTHER』を企画したように、本作も編集者気質の人たちが新しいメディアに反応した流れにある一つだろうと想像していた。しかし、読み進めていくと意外にもビデオゲームに対する踏み込みは浅くて、噂や都市伝説が蔓延した90年代の空気へ言及する物語だった。音楽好きの人ならこの説明でピンと来るかもしれないけれど、要するに『噂だけの世紀末』の小説版とでも言うような内容になっている。


『噂だけの世紀末』は、以下に引用する歌詞のように、ノストラダムスの予言といった終末ブームで盛り上がる流れを痛烈に批判したラップ楽曲だ。

2001年に誰もが思った こんなことならやっておけた
日本初めての世紀末は噂が作る噂のクズだった

一方、本作のあらすじは、人気ビデオゲームノーライフキング」に纏わる不穏な噂が子供たちの間で蔓延し、やがて大人たちへも影響を与えていくというもの。初見で読み進めていたとき、『噂だけの世紀末』の歌詞を踏まえて、いずれは噂が霧散するような展開を予想していた。でも実際はその逆で、噂を信じる子供たちが極限状態に至ったところで話はぶつりと終わってしまう。悪い言い方をすれば、批判していた筈の終末思想に乗っかった作品群の一つになっているようにも見えた。(まあノーライフキングは噂だけの世紀末より先に出ているんだけれども)

なぜこうなっているかを考えると、本作の興味が終末思想へのカウンターにあるのでなく、その噂が蔓延する構造を解き明かすことに向いているからなのだと思う。

ノーライフキング』は基本80年末の空気感を再現することに注力していくけれど、大きく創作している点として、噂は子供たちから生まれるものとして描いていることがある。この小説における子供たちとは、デジタルなツールに適用した人間の代表だ。子供たちは新しいメディアであるビデオゲームで盛り上がっているし、塾ではパソコンによる授業が行われ、生徒らは講師に隠れながらチャットを楽しんでいる。そしてここからが『ノーライフキング』の予見性のある部分で、対面ではない、デジタル上の高速なコミュニケーションを伴う生活を続けることで、子供たちは無自覚ながら徐々に共同体としての意識を獲得するようになり、そこから噂が生まれていく。

これはいまで言うと、ツイッターでのクラスターのようなものだと思う(もう死語になってる気がするけど)。タイムラインに流れる大量のコメントを眺めるうちに同じような嗜好を持つ人に気がついて、いつの間にか連帯を意識するようになる感じ。こういった共同体を育てたり可視化する役割は、以前は雑誌やTVといったメディアが担っていたんだろうけれど、ITの発達でそれらが民主化されることをいとうせいこうは予言したかったのだと思う。

ただ、その予言が実現した2020年にこの本を読んで面白いのか?というツッコミはあるかもしれない。それでもこの本が楽しめたのは、テクノロジーに翻弄される人間の話、つまりSFとして綺麗にまとまっているからなのだと思う。子どもたちだけに噂が見えて、大人はそれに関与できないという分かりやすい構図も、次の世代のための物語として普遍性がある。また、子どもと大人の断絶の末に人類の終わりがやってくるという展開は『幼年期の終わり』にも重ねられていて、名作SFのオマージュになっているのもよくできていると思う。

ノーライフキング』は小説家としてのいとうせいこうの処女作というのもあって、稚拙な部分も少なくない。時々、登場人物の心情を地の文でごりごり書いてしまったりするのは正直目に余った。それでも、この話を単なる未来予測にはせず、寓話性を高めて出力しようとするバランス感覚がこの小説を佳作にしているのだと思う。

とても面白かった。