先に映画ゆるキャンの感想を述べてしまうと、「キャンプ場づくり」と「社会人の青春物語」のどちらが主題なのかを決め損ねたことで焦点がぼやけた失敗作だと感じた。
しかし同時に、本作の「キャンプ場づくり」という題材は、原作者のあfろ先生の作家性にぎりぎりまで接近してみせるような魅力があったと思う。
そこで本文では、あfろ先生の過去作について振り返りながら、映画ゆるキャンに埋もれたポテンシャルについて書いてみる。
“あfろファンから見る映画ゆるキャン感想” の続きを読む先に映画ゆるキャンの感想を述べてしまうと、「キャンプ場づくり」と「社会人の青春物語」のどちらが主題なのかを決め損ねたことで焦点がぼやけた失敗作だと感じた。
しかし同時に、本作の「キャンプ場づくり」という題材は、原作者のあfろ先生の作家性にぎりぎりまで接近してみせるような魅力があったと思う。
そこで本文では、あfろ先生の過去作について振り返りながら、映画ゆるキャンに埋もれたポテンシャルについて書いてみる。
“あfろファンから見る映画ゆるキャン感想” の続きを読む復活したTokyo Sandboxを見に秋葉原へ行ってきた。
デジゲー博の癖でUDXに行きたくなるが会場はベルサールの2F。以前セガフェスで訪れた際はかなり広かった記憶があったが、今回はBホールのみの開放でコンパクトになっていた。
以下、印象に残ったものを書いていく。
折り紙をモチーフにしたパズルアドベンチャー。ステージの端を「つまんでめくる」ことで迷路を解き、主人公をゴールまで導いていく。
アートとゲームプレイの融合が見事で、かつ海外デベロッパーが日本文化を参照したゲームとして、『TENGAMI』を初めて見たときに近い衝撃を受けた。(NEWFANGLED GAMESはロンドンのデベロッパー)(確認取れてないので日本の折り紙は全然意識してないよということもあるかも)
ギミックの自由度もあってパズルの難易度は高くなっており、詰まったプレイヤーに後ろで見ていた他の参加者がアドバイスをする風景が自然と生まれていた。
コントローラーの左右のトリガーで2丁拳銃を放つ、西部劇を舞台にしたツインスティックシューター。
実はピュアなシューターではなく、敵やブロックを掴んで投げつけるといったベルトスクロールアクション的なシステムがあったり、画面が強制スクロールだったりと、アーケードライクな要素がミックスされている。アーケードゲーム好きな自分には気になるタイトルで、完成が楽しみ。
日本のヒップホップグループが開発を手掛けるとのことで注目していたゲーム。
タイトル画面が『Hotline Miami』そのままだったため露骨なフォロワー作品なのかと邪推してしまったが、スローモーションを駆使しながら敵の猛攻を見切って反撃していくという良い意味で異なるゲームプレイに仕上がっていた。
自分はSTAGE1のほかボス戦もプレイさせてもらったが、こちらはSTGのように敵の狙い撃ち攻撃を適切な位置で受けることで回避し易くするといった駆け引きも入っており、日本のデベロッパーらしい要素が感じられた。
本作に自分が一番興味があるのは、高速でトライ&エラーを繰り返す死にゲーのテンポとヒップホップ楽曲の親和性の部分になるが、今回の体験版ではまだ判断が付かなかったため早く次のビルドを触ってみたい。
既にSteamで英語版がリリーズ済みのタイトルで、架け橋ゲームズが翻訳を担当する日本語ビルドが展示されていた。
PVはまるでロボットアクションのようだが、実際は寂れた田舎町で小金を稼ぎながらロボット開発資金を貯めていくという『ノーモアヒーローズ』を思わせるアドベンチャーゲームになっている。体験版をプレイしながら、「もし今もGHMがピュアなアドベンチャーを作り続けていたならこれを出していたかもしれないな」と考えてしまった。
日本語版が来たら買って触ってみようと思う。
ピクセル表現やカラーパレットと言い、開発室PIXELの『ケロブラスター』の影響を思わせる2Dプラットフォーマー。シューター要素があり、一度連射を始めると射撃方向が固定される操作システムも同じ。(ただし上方向には撃てない)
よくよく観察すると世界観が不穏なところまで踏襲されており、体験版の時点でははっきりしないが、この辺りに独自の解釈を込めることでオリジナリティを出そうという作品なのかもしれないなと思った。
(WANG YANHEさんは過去に『1969』という文化革命中の母親の生活をテーマにしたゲームを制作している)
以上。
2020年以降はこの手のイベントに一度も行っていなかったため、久しぶりに良い熱量に揉まれて良かった。
無事に3回目のワクチン接種が終わった。案の定副反応にやられたので、今後のために記録を残しておく。
2回目は39度近い熱が出たことを思えば多少マシになったが、やはり休日がほぼ潰れるのは変わってない。この儀式をこれからも半年毎にやらなくてはならないのか…。
儀式そのものは受け入れつつ、引きこもり用の楽しみを用意しておくのが良さそう。(今回はシンデレラライブだった)
Chim↑Pom展、会場内にアスファルトを引いてストリート的な公共空間をつくり、そこをワークショップエリアとして開放するアイデアに感銘を受けた。
別日には自分の好きなダンサーであるAokidもここで踊っていたらしい。
森美術館Chim↑Pom展⁰「道」の上でマイ・ウェイ(My Way)@aokidnaosuke
— 石谷岳寛 (@istake) March 11, 2022
⁰#道を育てる⁰#ハッピースプリング#ダンスの練習 pic.twitter.com/IJdRRJZdZc
良いものを見たなと気分よく帰ってネットを見たら、森美術館での展示を拒否された作品が別会場でこっそり公開されていたらしい。しかも森美術館の入口で申し込みしないと見れないとのことでもう手遅れ。悔いが残ってしまった。
こちらの本会場(別名)、美術館によると、来場者数は10〜20人台/1日とのこと。にして、小ぶりな空間に警備体制はガードマンふくめて4人という物々しさです。Chim↑Pomの演出かというお声もいただいておりますが、全くそうではありません。是非皆さまご来場を。 https://t.co/kh8ZoliVfP pic.twitter.com/WzNnpHcxuw
— Chim↑Pom (@chimpomworks) March 12, 2022
もう2か月くらい前の話になるけど、シグマのdp2 Quattroを買った。
自分は別にカメラ好きではないことを踏まえると、このセレクトはなかなか思い切った判断だったと思う。
シグマのカメラというのはとてもピーキーで、特定の条件下では驚くほど美しい写真が撮れる一方、高感度に弱い面があり、光量が足りないとまともに撮影できなくなってしまう。ここで言う光量が足りないとは、「室内で撮る」とか「日陰で撮る」などを指していて、野外でも夕方になって太陽が隠れ始めたらその時点で使い物にならなくなるという、iPhoneのカメラに慣れているような人からすれば信じられないような世界になっている。
これを回避するにはF値、シャッタースピード、ISOの関係を理解して調整する必要がある。少し例を挙げてみる。シグマのカメラは他メーカーと違ってISOを400以上にするとノイズが乗り始めるため、自分は基本ISO100で固定している(いいのか?)。その状態で日陰に入ると光量が足りず画面が暗くなるため、シャッタースピードを落とすなどの対策が必要になる。シャッタースピードを落とす≒露光時間が長くなるためぶれ易くなるので、カメラを固定できる場所を探す、といった具合になる。自分も最初はこの原則が分からなかったので、安倍吉俊氏のブログを読んだり、以下のような図をみて勉強した。
最近「カメラの使い方を教えてほしい」という声が多いので、以前作った「カメラの基礎講座」も需要がありそうだなと。私がカメラを始めた頃に「もっとシンプルでまとまった資料があれば良いな」と感じていたものを形にしてます。カメラ始めたての人に知ってほしい。 pic.twitter.com/8Ay2cDHPZT
— つぼた|坪田将知 (@spot_tsubota) March 30, 2018
失敗例として以下の写真を挙げてみる。
これは一見モノクロ写真に見えるけれども、実は通常モードで撮影したもの。背景に薄っすら見える通りここは竹林の中で、光量が足りないせいで真っ暗になっている。dpでこういった場所で撮影するなら、三脚を用意して長時間露光などしないとダメらしい。
逆に、条件がハマった際のポテンシャルは素晴らしくて、植物であれば葉脈まで見えるほどの高精細な写真が撮れる。
遠景も良くて、下の写真は建物に当たった日の光と、陰になっている場所のコントラストがうまく出ている。
とまあ、ここしばらくはそんな感じで大量の写真を撮って過ごしていた。
しっかりとしたカメラを使うことで初めて気付くことはあって、最近はボケのことについてよく考える。ボケを使うとなんとなく良い写真が撮れたような気になってしまうが、これは要するに「撮りたかったもの」だけが写真に映り込むため完成度が高く見えるからなのだと思う。しかし、本来は構図が良ければ「撮りたかったもの」は伝わるのであって、安易なボケ使用は思考停止なのではないかと気づき反省した。それにノイズ扱いして隠した部分に面白いものが映り込んでいた可能性だってあるわけで、一枚の写真を楽しむ寿命を長くするのならば、ボケは強い意図がある場合を除いて封印した方が良い気がしている。
例えば以下は抽象的な画になっていてエモいけれど、実は撮りたいものが未定なまま撮影した曖昧な写真。悪くはないと思うけれど、これに頼りすぎるとスキルは上がらなそう。
とは言え、「なんだこれ?」と感じる捉えようのない写真に面白さが眠っているのも確かだとは思うので、ルーレットを引く感覚で大量にシャッターを切るのは続けていこうと思う。
#夜と海 https://t.co/ch4ilgeK8e pic.twitter.com/EKQQmBKwcr
— 郷本 (@g0umot0) April 14, 2021
少し前に、郷本さんの『夜と海』と『ねこだまり』がほぼ同時期に完結した。コロナ禍真っ只中にすべての連載を止めたことに悪い想像をしたりもしたのだけど、その後「楽園」での新連載が告知されて杞憂だったことが分かった。新作を楽しみにしつつ、良い機会なので郷本さんの漫画の話を書いてみる。
先に名前を出した2作は、女子高生の交流を描く『夜と海』、独り暮らしのOLと飼い猫の生活を描く『ねこだまり』と、題材は全く異なる。でもよくよく読んでみると一貫したテーマがあって、どうも郷本さんは「異種族交流」を描き続けていることが分かる。
『ねこだまり』については、人と猫の関係と直接的だから分かりやすい。でも『夜と海』は二人の女子高生の交流の話だから繋がらないように見えるかもしれない。
『夜と海』は世間的には百合というジャンル分けをされているものの、そのつもりで読んでいると器からはみ出ている部分が徐々に目に入る。本作の主役二人は、自身の興味に正直に行動してしまう人物で、学校生活や同級生との交流も、あまり視界に入っていない。 学校で唯一人の水泳部員である彩は、放課後のプールの時間を目的に日々を過ごしており、そこに彩の泳ぐ姿に惹かれた月子が「見学」するために参加するようになる。二人で過ごす時間が増えたことで周囲からは親友か恋人のように見えているが、実際はお互いの連絡先さえ知らず、夏休みにわざわざ会ったりもしないという百合らしからぬドライな関係である。
この関係性が一体何なのかは、作中繰り返し登場するプールで過ごす絵に現れている。水の生き物のように身体を水中に沈めた彩と、プールサイドに足を垂らすより先には絶対に進まない月子が描かれ続けていて、水平線の上側と下側で住む世界が違うことが強調されている。本作は、同じ人間同士でも価値観が異なればコミュニケーションなんてまともに成立せず、それは異種族交流みたいなものになるんだという前提で進行していく。
この温度感が物足りないという人もいれば、逆に息ができるという人もいると思う。郷本さんの漫画は絵的には華やかなのでつるつる読んでいけるのだけど、根底はヤマシタトモコの『異国日記』のようなシビアな作品らと考え方を共有している部分がある。
ちなみに『ねこだまり』は郷本さんのこのスタンスのおかげで自分にとって最良の猫漫画になっている。本作は奇行を続ける飼い猫らに主人公が振り回され続けるというもので、主人公は奇行の理由をひたすら想像してみるけど「結局何も分かりませんでした」というオチで毎回終わる。自分も猫は何を考えているか分からないところに魅力があると思っているので、本作のコミュニケーションが取れなくても一方的に猫を愛でていく感覚にはとても共感してしまった。
まあ、あまり長々と書くのもあれなのでこんな感じで。
次作のタイトルは『破滅の恋人』とのことですが、自分の適当な解釈が外れてオーソドックスな百合になるのか、やっぱりひとひねりあるのかは分からない。単行本出るまで待ちます。
🎹本日10/29発売の「楽園」第37号より『破滅の恋人』連載開始です。のびのび描かせて頂いてます。よろしくおねがいします。🌿 pic.twitter.com/AOKxRXvxKs
— 郷本 (@g0umot0) October 29, 2021