20251214

20251214

(未来の自分へのメモ:この時期は体調が悪くてリフレッシュを試みてた)

京葉線に運ばれて千葉県立美術館へ。これは小雨の日の千葉ポートタワー。

先日に引き続きジャズを見るのが目的。現在、千葉県立美術館では初の写真展が開催されているが、その関連企画としてジャズコンサートが実施されることになったらしい。

少し勉強して、ジャズのアドリブとは原曲のコード進行に対していかに異なるメロディetc.を当てられるかの遊びだという事が分かったが、今回はフリージャズと呼ばれる完全即興である。勉強の甲斐がない!

しかしいざ聞いてみると、先日のモントルーと比べてすんなりと面白さが理解できた。自分の知らないところで前提にされているルールが無いので、ただ目の前の対話を見るだけで良い。勿論演者らはジャズの文法に親しんだフレーズを使うのでその意味での距離感はあるが、私が普段親しんでいる別ジャンルのミュージシャンが行う即興と違いは無いと分かった。

ちなみに会場の100席x2回分は全て埋まっており、美術館のフリーイベントとしては大成功の様子だった。次もあるかも。

肝心の写真展は清水裕貴の作品が好みだった。ティルマンス的な壁の使い方や、1枚の紙に2つの写真を印刷してリズムをつくったりと、基礎的なテクニックの時点で共感してしまう。

上の作品は光のコントラストがバキッと出た魅力が分かり易い写真だが、奥の方には現像方法を弄ってイメージを破壊することで物質としての側面が強調された写真も展示されていた。

20251219

尊敬するミュージシャンA氏のメルマガを読んでくらってしまう。

普通の人間なので、閲覧注意と書かれている記事も結局見てしまうのだった。

20251220

三上晴子の回顧展へ。マジ最高。

と同時にメディアアートの難しさをあらゆる面から再確認する機会でもあった。

まず私は週末になれば美術館やギャラリーに通い詰めるタイプのアートファンであるのに、この展示が開催されるまで三上晴子のことを知らなかった。勉強不足と言えばそれまでだけれど、氏の作品の大半が普及作業を経ないと動作しないコンピュータ/ソフトウェア依存のつくり故に、あまり紹介されて来なかったのが大きな原因と思う。

この回顧展では単に作品を展示するのではなく、ICCや過去のYCAMで行われた三上作品の復旧作業がどのように行われたが大きく扱われている。作家が故人というのも判断の難しさを加速していて、文章を読んでいると、渋い顔にさせられる箇所がぽつぽつとある。

無響室で体験した作品は、オリジナル版は観客の心音をスピーカーで聞かせる仕様だったが、作品の再現が上手くいかず、予め録音された作家の心音が流れる仕様に替えられたらしい。ぶっちゃけこの作品だけコンセプト不明のぼやけた印象にはなっていた。

去年は博多のキャナルシティでナムジュンパイクのビデオインスタレーションを見てきたが、もはやインスタレーションの強度以上に作品の儚さが前景化しているという不思議な体験だった。今回の三上さんの作品は殆どが鮮明かつエネルギッシュでノスタルジーさはなかったが、いつか時代の切れ目で再び置き去りにされる可能性はあるよな、と後ろ向きの気分になったりした。

そんな暗い気持ちも「欲望のコード」を見ると吹き飛んだ。あまりのキモさに目が覚めたし、「キモっ」と声に出た。