20251130

20251130

ボーカロイドの現在地を読んだ流れで韓国出身のTAKの曲を聞いてる。

これバイレファンキ…?

「めざせモスクワ」や「コロブチカ」とかのロシア民謡ぽさも入ってる気がする。そのパートではビデオゲーム風の映像が入ってるのを見るに、柊マグネタイトの「テトリス」以降っぽい想像力が働いている気もする。

でもやっぱりTAKは日本語の使い方が絶妙に変なところが一番の魅力と思う。

(それを面白がっていいのかという問題はありますが。でもメロディに言葉を当てはめる文化自体が変じゃん?)

「Chasing Light」のBae Sang Hyunの新作が発表された。流石に一筋縄では行かない外見をしている。というかゲームメカニクスがさっぱり分からない。

Hyun氏は韓国でIndependent Game Developers Guild Festivalというゲームイベントを開催しているが、これもアートスペースをレンタルして作家主義的な尖ったゲームをキュレーションするコンセプチュアルなイベントだった。

https://jp.ign.com/games/66106/feature/igdgf

発売予定は2年後とのこと。

「Öoo」をプレイ。しかし序盤だけ触った感触では首を傾げてしまう。

言葉を使わずにプレイヤーにルールを理解させる手際は超一流な一方で、そもそもこのパズルアクションを通してどういった体験をプレイヤーに与えようとしているかが分からない。「PORTAL」ならどこでもドア的な異次元のオーパーツを扱う奇妙な感触を、「I.Q」なら巨大な立方体に踏みつぶされるという理不尽な世界(トーン)を描く。でも「Öoo」はパズルアクションのクリシェを見せることそのものが目的のデザインに見えてしまう。

最後まで遊べばちゃんと回答があるのかもしれないが、モチベーションが既にだいぶそがれていてそこまでたどり着ける自信がない…。

20251125

20251125

楽しみにしていたhikariのMVだが、開始2分で飽きてしまっている自分のシビアさに驚く。先日、川田十夢さんのMVをかなり褒めていたけれど、それでも同じ現象は起きていた。

大した話ではなく、世の中に出回っている映像がいかに意図で満たされていたかを突き付けられているだけではある。ただゲームをオープンワールド化しただけでは虚無で、プレイヤーが歩きたくなるデザインが組めているかが大事みたいな話。

ここでmalloonさんの映像を見てみよう。はい面白い。

Live12.3がついにリリース。

ステム分離はなかなか高速で動く。ギターやピアノが独立枠でなくその他にまとめられるのはAbleton感ある。ここが解決されるまでは既存サービスに頼る機会はまだ多そう。

Splice統合機能はコード進行も含めてぴったりのサンプルが選ばれるようになった気がしたが合っているかな。StudioOneと同等だと嬉しい。

20251127

仕事が変化したことで在宅勤務できるようになったのはいいが、運動不足で身体が硬くなっている自覚がある。健康のために中山きんに君の世界で一番楽な筋トレを毎日一回やることにした。

「楽」はもちろんフェイクでめっちゃ汗をかきます。

「名古屋作曲の会」のブログを漁っていたら榊原さんの学園祭ライブの動画を見つけた。学祭でHASAMI groupは最高すぎる。

20251129

諸々がスケジュール通りに進んでおらず焦る。その癖、蓮沼執太の年末ライブのチケットは抑える。大丈夫だろうか。

会期の終わりが近いので写真美術館へ。楽しみにしていた新進作家展から見ていく。

これはスクリプカリウ落合安奈の5面プロジェクション。

5つのスライドをどうやって同期しているのか観察してみたが、5機ともセットできる写真の数が同じなので、「せーの」で動すことで揃えている模様。つまりこの作品1周分の長さは機械の都合で決まっていて、作家はページ送りのタイミングによるリズムだけを決定しているらしい。

そしてそのリズムは結構早い!5面もあるので鑑賞者は首を振る必要があり、見逃す。そこから生まれる儚さや残響感を狙っているように見えた。

甫木元空もリズム繋がりで気になる作品だった。余命宣告された母との生活を収めた写真が、二つ連結されて展示されている。

よく写真集は左右のページに何を配置するか、ページをめくった時にモチーフをどれくらい変化させるかでリズムをつくるものだと言われるが、そういった面白さをキャンバスに持ち込んだ作品と言えそう。

B1Fのペドロ・コスタは、正直に言って楽しみ方が分からないまま終わってしまった。時間帯も悪く1Fでの映画の上映も行けず。どういう作家だったのか別途調べてみようと思う。

「ボーカロイド文化の現在地:海外特集号」を読みながらクリップ

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20251122

20251122

久しぶりに下北沢へ。スズナリで万有引力のレミングを見る。

2017年版も見たはずだがすっかり記憶はなく新作のつもりで挑んだが、今の世相とシンクロする内容に戦慄させられた。

「家の壁が無くなる」という有名な導入が終わると、ステージ上では別々の演劇が始まる。それらの設定はどれも「シャッターアイランド」のようなもので、「担当医のことを兄だと思い込んでいる患者がいて周りが合わせている」だとか、「自身をスター女優と思い込んでいる患者と映画監督の振りをして奇病のドキュメンタリーを撮りたい監督」など、夢と現実の区別がつかないものばかり。更に壁が消失したことで、それらの演劇が舞台上で合流してしまうというメタ演劇になっている。

面白いのはここからで、患者の筈の人物は「本当は医師と名乗っていた男こそが患者であり、自分はその設定に合わせて演じてあげているだけ」と語り出し、舞台設定の主導権を奪い返そうとする。この戦いは複数の演劇同士でも行われ、その結果主人公は他の演劇の中で銃殺されて死体役を演じることになる。

このあらすじは2017年版の時から恐らく変わってない筈だが、トランプの暴走から始まったポストトゥルース時代の今を風刺しているようで、かなり緊張感の高い演劇に仕上がっていた。何度も世相と重なり合うのは、寺山修司作品の寓意性の高さゆえだろうか。ここ数年の万有引力で一番楽しめたかもしれない。

観劇後は隣の古書ビビビへ。うろうろしていると古本に交じってZINEが売られていることに気づく。ありがたいことに序盤部分だけ試し読みができるサンプルまで用意されている。気になるものをいくつか購入した。

  • クソみたいな世界で抗うためのパンク的読書
  • UNISSON 「複数の人が同旋律や同音程で音を奏でる」の意
  • ポスト・ムラカミの日本文学

20251123

今日はAbleton and Max Community Japanのfendoapさん回の日。リモート参加のためライブ配信を家で待っていたが、なぜか時間になっても映像が出ない。ブラウザのリロードを繰り返していると、配信トラブルのため後日に録画公開する旨のメッセージが出た。まじか。

普通なら落胆するところだが、実は今日は文学フリマの日。AMCJを優先するために諦めたのだが、急ぎで行けば間に合うとビッグサイトへ。自宅から結構距離はあるのだが、昨日購入したZINEを読む時間に充てた。

文学フリマは初めて参加したが、4つのホールを使っておりかなりの規模。

到着が遅かったのもあり、目当ての品は売り切れているものも少なくなかった。それでも目を凝らして歩いていると興味のある本は見つかるもので、予定に無かった本もいくつか購入。現地に来た甲斐があった。

買ったものはこんな感じ。

  • ボーカロイド文化の現在地:海外特集号
  • コマ送り①〈アニメ業界とフェミニズムvol.1〉
  • 33歳人生行き止まり日記 Remixes
  • 青色の絵の具を使いきるまで
  • 文体の舵のとり方
  • きちんと学びたい人のための小説の書き方講座 キャラクター編

海猫沢めろん&江藤健太郎の「ひとり出版流通攻略ガイド」も欲しかったのだが、残念ながら売り切れ。

帰宅してからネットを見ると買い逃しが発覚して凹む。梅本佑利の対談が載っていたらしい「紙の音MAD Vol.1」、山田集佳さんの映画本などなど。どれも読みたかった。

この手のイベントはコミケやM3で慣れているつもりだったが、売り子さん(殆どの場合作者とイコール)から本を受け取るときに「どこでお知りになりましたか?」と聞かれるのが新鮮だった。言われてみれば導線を知るのは重要。なぜ他の界隈だとあまり聞かれないんだろう?

はじめに「青色の絵の具を使いきるまで」を読んだ。これは著者が青山塾というイラストの私塾に3年間通った体験について書かれたエッセイになっている。この本を手に取ったのは私が音楽系私塾の小さな講座を卒業したばかりで、この経験をどう活かすべきか、次にどこへ駒を進めるべきか考え中だったため、似たような人の話を聞いてみたい気持ちがあったからだ。

分野は違えど自分の体験と一致する部分が多く、ページをめくる度にドキリとする。絵を描いている人が同じ場所に集まっていることへの興奮、私塾ゆえにその人たちのバックボーンがまるで違うこと、作品を見せ合った人たちとの何とも言えない関係。最後のエピソードが「この後どうしよう」と思案するところで終わっているのも同じだ。私の悩みがこの本を読んで解決したわけではないが、近い境遇の人がいることを知って少し心が落ち着いた。

著者はイラストを専門とされているそうだが、綺麗な文体であっという間に完読できた。自分もこのサイトに載せている文章を書く際は、如何にして読者に完読させるかを意識して文章を組み立てているが、これがなかなか難しい。パラグラフライティングを使うとか、小見出しを入れるだとか、細かいテクニックは色々あるものの、小手先だけで進めると統一感のない多重人格者の文章になってしまう。自分にはこういった一貫性を持って人格を統合してみせるようなセンスがどうにも足りない気がしている。(その癖自作のビデオゲームでは複数ジャンルの統合がやたら主題として登場する。なぜだ。)

20251124

「プルリブス」を3話まで見た。面白すぎる。

「もし『SF/ボディスナッチャー』の侵略が1日で完了したら」な設定のSFドラマで、ボディスナッチャー達となぜかその抗体を持っていた主人公との不毛なコミュニケーションを描いたブラックコメディになっている。魔人探偵脳噛ネウロの系譜。

例に挙げた映画と異なり、このボディスナッチャーは全体主義のメタファーではなく、有能だが人間の気持ちを理解してくれないAI・アルゴリズム的な存在として扱われているように見えた。一応他にも抗体を持った人間は少なからず存在するが、使っている言葉も違えば価値観も相容れない人たちで、結局AIと世界で二人ぼっちというしんどい生活が続く、というところまで観た。

時代性にばっちり合った題材で非常に飲み込みやすい。でも、それが世界を牛耳るAppleから配信されているってかなりキツくない?とも思う。

20251113

20251113

「テルマ&ルイーズ」を見た。リドスコは「エイリアン」から「最後の決闘裁判」まで一貫して男性の有害性を取り扱ってる監督だけれど、その部分が一番分かり易く表に出された作品だった。あのEDは今の時代でこそバッドエンドにするなと批判されそうだけれど、社会の枠組みを簡単に変えられないことを示しつつ、2人の尊厳を守った描き方を考えるとこれがベストと思う。2人が死んだかどうかはギリギリ分からない切り方にしているのも明らかにそういう意図でしょう。エモーションな作品ながらロジカルに舵が切られていて、そこから劇場版ウテナにてわざわざ次の城が見えてEDになる誠実さを連想したりもした。

20251115

現代音楽の動画を見ていたら松﨑国生さんの作品がレコメンドされるようになった。いくつか見てみたがめちゃ面白い。

タイトルだけ見ると野村誠さんのだじゃれ音楽的なやつかなと思ってしまうが、野村さんが音楽に詳しくない一般人を巻き込むためのフックとしてだじゃれを使っているのに対して、松崎さんは洗練された本気のコントをやっている。

「マリオギャラクシー」の映画化の話題から、switch1時代にマリオコレクションを購入していたことをふと思い出して原作をプレイしてみた。中学生時代に弟がプレイしているのを眺めていた時は子供向けな退屈なゲームだと思っていたが、今触るとアヴァンギャルドな印象を受ける。Wiiコントローラーの自由な入力体系は、優秀なデザイナーの手に渡った時に従来のゲームの枠からはみ出るような奇妙なゲームメカニクスを生む。マリオとはアスレチックゲームであり身体性を感じさせるゲームだったはずだが、マウスポインタで重力をコントロールして宇宙を漂うマリオを導いているとき、その奇妙さに頭がおかしくなりそうだった。例えるなら、ディズニーの優秀なアニメーターが「不思議の国のアリス」を映像化した結果、家族で安心して見に行けないサイケデリックすぎる作品が生まれてしまったみたいな話だ。

その文脈でいうと、いまWiiで最もプレイしたいゲームは「ディシプリン」なのだけど、マーベラスが移植してくれないだろうか…。

しかし「ギャラクシー」は他の3Dマリオと比べて自由度が無く、シーケンシャルというか音楽的である。デザイナーが新しいインタフェースと格闘するとき、プレイヤーに参加してもらう余白みたいなものを設計する余裕は消えてしまうのかもしれない。そこに至るには開拓を終えて枯れるプロセスが必要なんだろう。

20251116

tofubeatsのライブを見に恵比寿ガーデンホールへ行く。

しかし、週末ぶっ通しで作業をしていたせいかライブ開始から1時間くらいで体力が底をついてしまい、立ちながらうたた寝しているかのような状態に。今年の目標は自身が体力の無い側の人間であることを自覚した行動をすることだったのに、年末でミスってしまった。ライブの内容に言及する権利がない…。

最後の寿司スナイパーのMCでぐだついたとき、トーフさんが頑なに同じワードで話を締めようとすのをokadadaさんが「引き出し無さすぎる」といじってたのが二人のキャラクターを示す象徴的なやり取りに見えた。トーフさんは準備の人で、okadadaさんはDJのプロというイメージなので。

20251117

川田十夢さんがAIで音楽&MV制作しているのを知る。

明らかに映像の快楽原則を抑えた素材を採用していて、素人が適当に生成した動画とは仕上がりが違う。バンドデシネのビジュアルに日本人らしき労働者が出てくるのは大友克洋風にして日本人に刺さりやすくしているんだろう。全体のトーンを統一しているのは歌詞だと感じたが、ここはAIに頼らないオリジナルらしい。

自分はSunoAIでの作曲にトライしたことがあるが、作曲・編曲の知識や語彙が無いのもありまともな成果物が得られなかった。その一方で専門であるソフトウェア開発においては最終成果物に組み込めるレベルのソースコードが得られていて、結局使い手の実力がそのまま反映されるのがAIの世界というのはもう分かってきた。

川田十夢さんレベルの人なら、自分でゼロから作った作品を出した方が周囲の評判は良いのでは?と思ってしまったが、ご本人がしっかりステートメントで触れていた。

作曲も映像制作も、AIの手を借りずに今まで(2023年くらいまで)やってきました。なので使わなくても作れますが、使わないと作れない領域へ先行(潜航 / 閃光)したくて、このプロジェクトを立ち上げました。歌詞はすべてオリジナル。自著の引用だとか、新しく書き下ろしたりだとか、です。主に使っているAIはMidjourney とか Runway MLとか SUNO とか Claudeとか です。メロディをハミングで作ったり、MIDI楽器でイントロやリフを作ったり、外部機材でリズムを作ったり、構成ラフを描いたり、タイポグラフィや映像のつなぎ目のエフェクトを自作したり。MIDIで書き出して、楽器を1音単位で切り替えて埋め込んでみたり、プレイヤーごとに人格を作って掛け合わせたり、ギターを弾いていたころのリフやフレーズをファインチューニングしたり、変なことやっています。なので、全自動で作られる楽曲や映像とは、少しおもむきが異なると思います。楽をして凄いものを作るというよりは、苦労をしてショボい(けど固有のもの)を作る努力をしています。

20251109

昨日の疲れが残っているが早めに起きる。傘と共に電車を乗り継いでMOTへ行き、笹本さんのパフォーマンスを見る。

今日のプログラムは「ストレンジ・アトラクターズ」と「スピリッツの3乗」。前回見た2つと合わせて4種すべて見ることができた。

近年の作品である「スピリッツの3乗」は、「ねじれた嘘」と同様に長い筒を振り回して波を起こすアクションがあるなど共通している要素がある。逆に「ストレンジ・アトラクターズ」の部屋は狭く、筒の中に笹本さんが入ってカートゥーンのキャラクターみたいに(観客にぶつかりながら)動き回るなど、窮屈さを意識させるパフォーマンスになっている。ベテランになるにつれて任される展示空間のサイズが大きくなった結果、年を重ねた現在の方が広い部屋を走り回るような体力を使う演目が可能になるという逆転が少し可笑しかった。

2つの演目は3時間の間が開くため、人の少なそうな喫茶店でDAWを立ち上げて作業も進める。最近は家の外でDTMをやるのもすっかり慣れた。むしろ衆人環視の中で作業した方が、うっかりYoutubeを開いて脱線することもないので進みが良いかもしれない。MIDI鍵を叩けないストレスはままある。

帰宅後に青島もうじきの「私は命の縷々々々々々」を読み終えた。長谷川白紙や米澤柊の作品に触れている時のようなほどける心地よさを感じさせる文体がとても好み。反出生主義と百合SFの悪魔合体…と説明してしまうと「ハーモニー」を連想させてしまいそうだが、むしろ青春小説の枠に収めることで自分に引き寄せて読ませる距離感になっていて、それがかえって社会を深刻に感じさせてくれるのが良い。

末尾の参考文献にピープルの「ミネルヴァ」が含まれているのにハッとする。他も含めて1個ずつ読んでいくと、引用ではなくインスピレーションを与えた作品を列挙したようなものになっている。半分本気、半分攪乱の感じだ。

20251101

週末。午前は原口沙輔prod.楽曲のプレイリストを作ったり、DAWで「MIND TRAIN」の分析をして過ごす。

午後から佐藤雅彦の講演を見に東大へ(初めて入った)。正門から安田講堂までの真っすぐ伸びる通路に感動。同時に強烈な銀杏の匂いに襲われ足早に進む。

安田講堂は実は崖の上に立っているというのはブラタモリで聞いていたが本当だった。窓から外を見るとこうなっている。

つまり正門から入る階は「3F」。このトラップに引っかかり、案の上迷子になった。

会場にはライブハウスで見るタイプの縦積みスピーカーがある(実際音響はかなり良かった)。

講演の内容はがっつりメモを取ったが、流石にここには書かない。そもそも「作り方を作る」というタイトル通り、基本的には横浜美術館の展示と内容はほぼ同じである。

この講演での一番の収穫は佐藤さんの性格が知れたことかもしれない。

まず最初に「会場に人が入ると音は半分になるんです」と言ってスタッフに声掛けしながら音量調整が始まるなど、参加者の体験の質を相当意識していることが見えた。講演開始後も「端の見えにくい席に座っている人は本当にごめんなさい」と謝られていた。

この時思い浮かべていたのは先日読んだ鬼龍院翔(ゴールデンボンバー)による「超!簡単なステージ論」という本のことで、ここには佐藤さんが実践していたような、全ての観客に等しくパフォーマンスを届けるために現場で注意すべき点が書かれている。

佐藤さんも鬼龍院翔に負けない位の相当な現場主義というか、視聴者に正しく伝えるために泥臭いチューニングを好んでやるタイプに見えた。プロフェッショナルの形として、プレゼンのクオリティを上げることに専念して音響は別のプロに任せるというスタイルも全然アリと思うが、少なくとも佐藤さんはそういうタイプじゃないらしい。

また、新しい動画をMacbookで開くたびに適切な音量になるよう毎度つまみをいじる(たまに忘れて爆音になる)佐藤さんの姿もやたら印象に残った。ぶっちゃけこれはベストなやり方ではないと思う。だが、目的を達成するために自分で決めた面倒な運用ルールを頑固に遂行する姿が、妙に佐藤雅彦的に見えて面白かった。

テキシコーの効率化回やピタゴラスイッチを見ていると「でも現実はそうじゃないよね」と思う瞬間もあるが、佐藤作品にはその現実の複雑さへの畏れも実は内包していると感じさせる(ピタゴラスイッチが成功するまで何十回もリテイクして撮られているように)。佐藤さんの動画の音量つまみとの格闘はそのことを思い出させた。

というか佐藤さんはMac派なんだな(どうでもいい)。

さて、結局この講演は「考え方が生む表現」という佐藤さんが最も話したかったパートに到達できずにタイムオーバーで終了した。そんなことある!?

しかし参加者側も佐藤さんが何十年もかけて作り上げてきたルール/トーンを大量に口に放り込まれて満足してしまっているため、誰も文句は言わず拍手で公演は終了。私もやや浮かれた気分でメモを修正しながら帰路についた。

20251031

ユリイカの原口沙輔特集を引き続き読んでいる。

登場した作品に出先でマーカーを引いておいたので、帰宅後にチェック。スクラップ代わりにここにリンクを残す。

「贋ト旧称」には、作曲家・野見祐二さんのユニット「おしゃれTV」の楽曲「踊るクエン酸回路」を意識したオマージュがあえてわかるように入れられている。

原口沙輔; キタニタツヤ; フロクロ; 岩倉文也; 木澤佐登志; いとうせいこう; いよわ; 難波優輝. ユリイカ2025年11月号 特集=原口沙輔――「人マニア」「イガク」「贋ト旧称」……そして『イ三』へ (p.65). 青土社. Kindle 版.

「フライド☆プライド」で二番から暴れ始めるのは、沙輔くんの「めちゃくちゃやっちゃいましょう! 怒られたら修正しましょう!」というアイデアからです。

原口沙輔; キタニタツヤ; フロクロ; 岩倉文也; 木澤佐登志; いとうせいこう; いよわ; 難波優輝. ユリイカ2025年11月号 特集=原口沙輔――「人マニア」「イガク」「贋ト旧称」……そして『イ三』へ (p.63). 青土社. Kindle 版.

「無限モグモグタイム!」はどちらかというと僕が主体です。沙輔くんがものすごく忙しくて打ち合わせに参加できず、音楽ディレクターの佐藤さんと二人で曲の方向性の話をしている時に、僕が「80sアイドルソング+サビで突然メタルとかグラインドコアみたいになるような楽曲も作ってみたいです」という話をして採用されました。松田聖子さんの「渚のバルコニー」をナパーム・デスが演奏したら面白いなと思っていて、その打ち合わせの後すぐに沙輔くんに曲のURLを送って、「サビ前までは「渚のバルコニー」で、サビになったら突然ナパーム・デスになるような曲お願いします!」と伝えたら、「わかりました!」とすぐに返ってきて(笑)。

原口沙輔; キタニタツヤ; フロクロ; 岩倉文也; 木澤佐登志; いとうせいこう; いよわ; 難波優輝. ユリイカ2025年11月号 特集=原口沙輔――「人マニア」「イガク」「贋ト旧称」……そして『イ三』へ (pp.62-63). 青土社. Kindle 版.

ライゾマティクスの真鍋大度による「morphecore」(二〇二〇年)を紹介しておきましょう。同作では画面の中で3DCGモデルになった真鍋が、踊りながら徐々にぐにゃぐにゃとかたちを変えていき、アタックにあわせて唐突に全身からウニのようなトゲを出すなど、仮想空間ならではのやり方で存分に身体を運用しています。

原口沙輔; キタニタツヤ; フロクロ; 岩倉文也; 木澤佐登志; いとうせいこう; いよわ; 難波優輝. ユリイカ2025年11月号 特集=原口沙輔――「人マニア」「イガク」「贋ト旧称」……そして『イ三』へ (p.303). 青土社. Kindle 版.

抽象性の高い文字のようなデザイン以外にも『イ三』のティザー映像では流線的でエッジーなシルエットの文字のようなデザイン、「ミニ偏」のMVではアイコニックなモチーフを画面の上下左右に額縁のようにレイアウトしたデザインが印象的だが、これらは明らかにアシッド・グラフィックスを参照している。

原口沙輔; キタニタツヤ; フロクロ; 岩倉文也; 木澤佐登志; いとうせいこう; いよわ; 難波優輝. ユリイカ2025年11月号 特集=原口沙輔――「人マニア」「イガク」「贋ト旧称」……そして『イ三』へ (p.383). 青土社. Kindle 版.

日本のアシッド・グラフィックスシーンで著名なデザイナーGUCCIMAZEが手掛けたPETZ『Cosmos』のアルバムデザイン

Jamie Paige「Machine Love」は、まさにトランス当事者のラブソングだ。同曲では、先述した重音テトの初オリジナル曲である耳ロボP「耳のあるロボットの唄」をトリビュートしつつ、トランス当事者が自身のトランジション(性別移行)を自覚していく様子や、それを愛する人にカムアウトする様を描いている(

原口沙輔; キタニタツヤ; フロクロ; 岩倉文也; 木澤佐登志; いとうせいこう; いよわ; 難波優輝. ユリイカ2025年11月号 特集=原口沙輔――「人マニア」「イガク」「贋ト旧称」……そして『イ三』へ (p.370). 青土社. Kindle 版.

原口沙輔と関係ないが「耳のあるロボットの唄」との関係を知らなかったのでメモ。Jamie Paigeは最高です。

20251029

ブログの更新が滞っている。Notionには毎日日記を書いているのに!

タスクを抱え込みすぎていて、読んだ本の内容を要約したり、作業日記を書くだけで文章を書く体力を使い切ってしまう。

いま心の癒しなのはユリイカの原口沙輔特集。「イ三」発売前のタイミングってどうなの?と思っていたが、情報量が抑制されており読みやすく、かえって良かったかもしれない。

音楽側の話はふむふむと読んでいたが、「アートワークがアシッド・グラフィックスを参照している」という大橋さんの指摘は全く知らない世界の話だったので色々調べてみる。AVYSS magazineのロゴみたいなやつなんですかね。

自分が気にしてるのはどちらかといえばあの灰色のこと。Aiobahnが少女×グレースケールのアートワークを多用するのは美少女ゲームで肌色を強調するためにグレースケール使われがちというクリシェから来てると思うのだけど、原口沙輔もインターネット上の薄暗い領域の象徴として色だけ拝借してるのではと邪推してしまう。

20250912

20250912

テレマビさんの「opposite mirrors」を電車で聞いているが、LUFSがかなり小さく全く聞こえない!正確に言うと音量のダイナミックレンジが激しくアップダウンしており、曲ごとに音量ボタンを押さないとうるさかったり聞こえなくなったりする(家で映画を見ているとアクションシーンで音がデカすぎてびっくりするアレ)。つまり、映画のサウンドトラックをそのまま書き出したような作品を目指した模様(架空の美少女ゲームの劇場版?)。密閉型イヤホンを使えば解決しそうだが体質上使えないので無理。静かに家で聞くしかなさそう。

自身の楽曲でもどのくらいの音圧を目指すかは非常に悩まされていて、いい機会なので他の楽曲もチェックする。クラシックが一番低くて静かなパートで-25くらいに下がる。テレマビさんの「library」は-30で聞かせた後に-14に跳ね上がる。タブラ主体のユーザンの新譜は-12。Phritzの「long way home」は-12~-8の揺らぎがあって、ウワモノはアコースティックでもビートはクラブ仕様故の音圧があるのが面白い。

今制作中の曲は「long way home」がリファレンスなので、同じくらいを目指してみよう。

20250913

三連休。DTM講座の最終課題締切前、最後の休日になる。すでにアレンジとミックスは完了しており、フラットな耳で最後の調整をするフェーズ。朝ご飯を食べたら我が家で最もモニタリング力が高い密閉型のヘッドホンで作業し、頭が痛くなりだしたら切り上げて遊びに行くルールに決めた。

限界が来たあたりで国立新美術館の「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989–2010」を見に行く。ちょうどアーティストトークの日だったので講義室へ(初めて入った!)。到着したらちょうど風間サチコさんの講演が始まったところで、そこから他の作家も含めて最後まで見た。

この時点で既に17時。ナイトミュージアムの日なのでなんとかなるやろと余裕ぶっていたが、ここ数年で見た展示の中でも指折りの優れたキュレーション。スキップできる作品が一切なく、感動しながら焦る。結局いくつかの映像作品を半端に切り上げて閉館時間ぴったり20時に帰る羽目になった。

良かった作品をいくつか記録しておくと、まず高嶺格の「god bless america」。巨大彫刻、クレイアニメ、そのドキュメンタリー、MVなど、様々な表現手法が混ざり合い、結果的に優れたアメリカ批判として立ち上がるというえげつない作品。相当むずかしいことをしているはずだがそう見せない軽やかさがあるのも痺れる。

もう一つはヒト・シュタイエルの「Lovely Andrea」。この映画監督を知ったのは同じ新美術館の「遠距離現在 Universal / Remote」で見た「Mission Accomplished: BELANCIEGE」で、これが大傑作で忘れられないでいた。以下の記事が非常に分かりやすい。

https://note.com/muchirushi/n/n9107b708f146

「Lovely Andrea」は日本の緊縛シーンをヒト・シュタイエルが取材した作品で、日本の倫理観の低さを海外から観察されるような居心地の悪さはあるが、情報の組み立て方が面白いので最後まで見てしまった(と同時に閉館)。