今年は巣ごもり需要による『あつ森』の大ヒットなど、世間的にビデオゲームが再評価されるような流れがあった。あの美術手帖も同じようなまくらで始まるゲーム特集を出した。でもそんなのはごく一部の側面で、『ノーモア3』や『テイルズ新作』など自分が楽しみにしていたゲームは殆どが影響を受けて来年に延期になってしまった。そんなわけで、積んでいたゲームを崩したり、リマスターに手を出したりと、時世通り休息モードで過ごした2020年でした。
プレイしたゲームは以下。
PC
- BABA IS YOU
- CyberPunk 2077
- DARK SOULS REMASTERD
- DARK SOULS 2
- DARK SOULS 3
- Haven
- Helltaker
- HUMAN fall flat
- HALF-LIFE1
- Katana Zero
- LEFT 4 DEAD 2
- My Exercise
- Necrobarista
- PHASMOPHOBIA
- TICK TOCK
- VALORANT
- WE WERE HERE
- WE WERE HERE TOO
- THE WILD EIGHT
- スマガ
- ドーナドーナ
- 虚ノ少女
- 天ノ少女
- 天穂のサクナヒメ
Switch
- Deadly Premonition 2
- NO MORE HEROES
- NO MORE HEROES 2
- SUPER MARIO BROS. 35
- あつまれどうぶつの森
- グノーシア
- スーパーマリオ 3Dコレクション
- デスカムトゥルー
PS5
- Demons Souls
PS4
- FF7 Remake
- Fall Guys
- Ghost of Tsushima
- The Last of Us Part II
- Dishonored: Death of the Outsider
- スペースチャンネル5 VR あらかた★ダンシングショー
PS2
- 真女神転生Ⅲ
- ROOMANIA#203
特に印象に残ったものについてコメントする。
Demon’s Souls リメイク
PS5手に入れた自慢です。というのは冗談として、このリメイクはオリジナルにあったバグについて”残すものと残さないものをトリアージする”という事をしており本気で驚愕させられた。例えば致命攻撃のモーション中に回復アイテムを使用することが出来る”草食い致命”などのバグが、オリジナルを尊重するという意図でそのまま残されている。勿論これはフロムソフトウェアが意図する仕様ではないので、オリジナルのプレイフィーリングを愛するプレイヤーへ向けた配慮だ。Bluepoint Gamesは丁寧な仕事をするスタジオというイメージだったけれど、ここまで行くと狂気に見えてしまう。ソースコードレベルでオリジナルと一致させているように見える完璧に再現された手触りに感心しながらも、「正しいリマスターとは何か?」について考えさせられたゲームだった。
VALORANT
なんだかんだ今年一番プレイしたタイトル。確かサービス開始してからキルジョイが参戦するまでの間は、ほぼ毎夜ボイスチャットを着けてフレンドとプレイしていたと思う。『カウンターストライク』型のFPSをプレイするのは初めてで、チームのシナジーを高める事でしか勝てない(キルレートが高いエースがいるだけではダメな)デザインが新鮮だった。ただプレイした後の疲労感が凄まじく、ある日緊張感がプツリと切れてからは全く起動しなくなってしまった。
自分は対戦型ゲームなら格闘ゲームの方がまだ専門なのだけど、やっぱりキャラクター制度があるだけで遊びやすくなる。試合に勝てなくても使っているキャラクターらしい動き方を習熟すること自体が楽しいし、勝ち方もその過程で分かってくるから。『グラブル』が格闘ゲーム化するのもそうだけど、むしろキャラクターゲームとしてこの手のゲームを楽しんでいるプレイヤーも少なくないと思う。そういえば以前『ペルソナ4』の格闘ゲームが発売された時、橋野桂氏が「格闘ゲームは対戦ツールであるのみでなく、キャラクターに没入するためのフォーマットとしても有効である」みたいなコメントを出していて、関心した記憶がある。(今調べたらソースが見つからなかったので自分の勘違いの可能性もあるかも)
Necrobarista
正直完成度はあまり高いと思わないものの、印象に残ったという意味で選出。昨今では『凍京ネクロ』や『AI: ソムニウム ファイル』などAAAでは無いデベロッパーによる3Dモデルを使用したADV作品が次々に出ており、3Dモデルの活かし方は作品ごとで全く異なっている。本作では、陰影がパッキリと見える『Killer7』時代のGHM作品のようなグラフィックの3Dモデルに、テキストをタイポグラフィのように重ねていくスタイリッシュな画作りに独自性がある。例えるならシャフトの尾石達也(『傷物語』の監督やシャフト作品のOP/EDを担当している人)の映像を見ている感覚に近い印象がある。制作陣はAMV好きのメンバーで構成されているらしく、発想が既存のADVの文脈からずれているのはそこからの影響があるかららしい。
本作には、キーアニメーションに合わせてタイミング良くタイポグラフィを出していく、MADかAMVのような演出で進行するADVを期待していたが、実際は殆どのシーンでキャラクターの3Dモデルは静止しており、『ベヨネッタ』の中間ムービーのような紙芝居的なものに近かった。しかし、アニメ調のグラフィックから想像し辛いが、展開されるストーリーは非常にビターな内容であり、強く印象に残った。
虚ノ少女 RE
『虚ノ少女』はイノセントグレイによる連作ミステリADV『殻ノ少女』シリーズの2作目。この文章を書いている時点で3作目かつ最終作である『天ノ少女』もクリアしているけれど、あえてこちらを選んだ。
イノグレは大好きなデベロッパーなのだけれど、実はシリーズを通して大きな物語を描くのがあまり得意ではないと思う。例えば過去作である百合ADV『flowers』シリーズは全4作の大長編で、各作ごとに異なるカップルにフォーカスを当てる構成になっているが、1作目のカップルのみ単独で物語が完結せず、最終作である4作目で続きが語られることで真に完結する。しかし、そもそも1~3作目の独立性が強いため、4作目はシリーズを通してのプロットを回収することに終始してしまい、印象に残る場面が無いという弱点があった。そして正直なところ、『殻ノ少女』シリーズでもこの弱点を引き継いでしまっていると思う。逆に言えば、イノグレ作品はシリーズの間に当たる作品こそいつも豊潤で、『flowers』では夏編、秋編がお気に入りなのだけど、『殻ノ少女』では『虚ノ少女』が好きになった。
『虚ノ少女』は前作をプレイした人ほど驚かされる作品で、雛神理人という前作に居なかったキャラクターの長い長い幼少時代を語るという、プレイヤーにストレスをかける導入から始まる。本作はこの雛神理人を中心に、とある集落を支配する雛神一族にまつわる物語が、現在編と過去編を行き来しながら語られていく。このザッピングする構成により盛り上がりを迎えるまでの時間が非常に長くなってしまっているが、その代わりシリーズ屈指の重厚さを獲得している。これはシリーズの繋ぎというある種選ばれたプレイヤーが集まったタイミングを狙って離脱者の出やすい重い構成の物語を採用したように見え、うまい戦略だと思う。
また、前作では本格的なミステリをやれている故に、18禁ゲームのお約束的に挿入される濡れ場が雰囲気を壊していたのが気になったが、本作では2つの時代を繋ぐ血の流れを描くための演出としてうまく消化していて、没入を切らさずプレイすることが出来た。
もしおすすめのイノグレ作品を1作選んでくれと言われたら、この『虚ノ少女』を選ぶと思う。
少し余談。昨今のニトロプラスとかを見ても思うけど、濡れ場が不可分でない18禁ADVは没入を切らすという理由でこれから長い時間をかけて少しずつ消えていく気がする。少なくとも『ととの』の下倉バイオ氏は、自身のディレクションする作品ではその辺りをかなり意識していると思う。(脚本だけ担当した『凍京ネクロ』は全年齢版が後から出たけど。)『天ノ少女』も既にその流れに乗っていて、とある登場人物が特定の選択肢を選ぶと突然倫理観がガバガバになるといった、作品世界が壊れるような展開は避けているみたいだった。
Cyberpunk2077
自分が初めて触ったCD PROJEKT REDのゲームは例によって『ウィッチャー3』で、メインとサブの区分けが付かないほど練り上げられたシナリオ群が生み出す匂い立つ世界にいい意味でやられてしまった記憶がある。『Cyberpunk2077』はそんなチームの新作ということで事前情報も入れずにプレイしたのだけど、中身が素直な”都市型オープンワールドゲーム”であったことにまず驚いた。
このジャンルはRockstar以外つくづく勝てないと思う。マップにピンが置かれて、プレイヤーがミニマップを注視し始めた瞬間、ゲーム世界は死んでしまう。その先にあるミッションが「x地点に行ってyを殺せ」の繰り返しだといよいよ救われない。『BotW』、『Fallout』、『The Elder Scrolls』のような広大な土地を歩く作品は、オブジェクトやイベントをマップにばら撒き、プレイヤー自身の興味で寄り道させることで自然に間を持たせることができる。これが舞台が都市になるとプレイヤーが”目視”で何かを見つけるというシチュエーションは作り辛くなり、ゲームに慣れるほどガイドの奴隷として行動する時間が増えていき作業感が出てしまう。GTAがなぜ成功しているかと言えば、ディテールを無限に積み上げることで街の存在が感じ取れるまで高めているからであり、王者にしか出来ないアプローチだ。
『Cyberpunk2077』はこの問題に対し、何の解決策も用意していないことに驚いた。縦方向の視線を引くナイトシティのビジュアルは素晴らしい出来だけれど、慣れと共にミニマップを見つめ続けることになるのは変わらない。
これは恐らく、都市型オープンワールドへの素直な憧れが本作を制作するモチベーションになっているからなのだと思う。でも結果的にアプローチは『GTA』からうまくずれている。『GTA』はVで主人公が3人に分かれたように、俯瞰的というかクレバーな態度で街そのものを描こうとする。それに対して『Cyberpunk2077』は、『ウィッチャー3』から引き継がれた妥協のないシナリオと魅力的なキャラクターによって、血の通った世界が描かれている。CD PROJEKT REDの真摯な作り込みによって、本作は凡庸さから抜け出すことができていると思う。
『Cyberpunk2077』には、縦方向に情報を詰められるサイバーパンクという題材を利用した、全く新しい引力でプレイヤーを歩かせる世界を期待していた。これに関しては残念ながら裏切られたものの、久しぶりにサイドジョブが出涸らしになるまでオープンワールドゲームを遊ぶことが出来て満足だった。
以上。
今年は自宅で過ごす時間が長かったため、ダークソウルシリーズをフレンドと全編ボイスチャットを着けた状態で遊ぶというのをやってみたのだけど、コミュニケーションを取りながら「あっちへ行こう」「こっちへ行こう」と進めていると、まるでTRPGをやっているみたいだなと感じた。実際、宮崎さんのインタビューでもゲームブックやTRPGからの影響は認めているし、自由度の高すぎるマルチプレイや、細部まで作りこまれた美しいステージにベタベタとポストイット(メッセージ)を置く事を許可する態度は、まさにTRPGから影響を受けているからこそできた事だと思う。『デモンズソウル』時代からそういった指摘は挙がっていたものの、改めてWebを検索したところ誰もまとまった文章を書いていなかったので、自分で書いてみたのが以下の記事だった。
また、自分は運良く『デモンズソウル』からこのシリーズの変遷をリアルタイムに見てきたこともあって、シリーズ全体から見た各作の変遷についても書いてみた。ちなみに『SEKIRO』の振り切れ具合を見る限り、『ELDEN RING』は世界観こそファンタジーであれど、ソウルシリーズからほぼ完全に断絶された新しいメカニクスのゲームになるのではないかと予想している。
2021年は今度こそ『ノーモア3』、『テイルズ新作』、そして『DEATHLOOP』に期待しています。