2022ビデオゲーム振り返り

今年も振り返る。

正直に言って今年はビデオゲームへの興味はぼちぼちで、時勢を見ながら山を登ったり、気になっていた地方へ遠征したりと、家の外での活動に熱を入れていた気がする。とは言え、気になる作家やスタジオの新作リリースも多い年で、それらは一通り触ることができた。

プレイしたゲームは以下。

PC

  • AI:ソムニウムファイル ニルヴァーナイニシアチブ
  • All Right on the Knight
  • ASTRONEER
  • BLACK SHEEP TOWN
  • Cities: Skylines
  • Climber: Sky is the Limit
  • Critters for Sale
  • “Cuphead – You can’t run away from god” by Jan Ski
  • “Cowboy Bebop Nope” by Jan Ski
  • Disco Elysium
  • ELDEN RING
  • Euro Truck Simulator 2
  • Factorio
  • Fate/Stay Night
  • FF14 漆黒のヴィランズ/暁月のフィナーレ
  • GUILTY GEAR STRIVE
  • Goonect
  • HER STORY
  • The Hunter: Call of the Wild
  • Immortality
  • Life is Strange 2
  • Marvel Gardians of Galaxy
  • milk inside a bag of milk inside a bag of milk
  • milk outside a bag of milk outside a bag of milk
  • OVERWATCH2
  • PANELKI
  • POSTAL 2
  • Raft
  • Returnal (COOPモード)
  • Sephonie
  • SOL CRESTA
  • Swan Song
  • 夜勤事件
  • ソニックフロンティア
  • ナツノカナタ
  • フラテルニテ

Meta Quest

  • Dyschronia: Chronos Alternate EP1/EP2

Switch

  • ベヨネッタ3
  • スプラトゥーン3
  • アソビ大全
  • リングフィットアドベンチャー

PS5

  • Coffee talk
  • FF12
  • サルゲッチュ

PS2

  • BLOOD+ One Night Kiss(『ニュータウンの社会史』を読んだので再訪問)

iPhone

  • ポインピー

特に印象に残ったものについてコメントする。


BLACK SHEEP TOWN

『BLACK SHEEP TOWN』は、長年テキストADV界隈で活躍してきた(一時期離れていた)瀬戸口廉也の久々のディレクション作品。

かつてイシイジロウ氏が残した「良く出来たサウンドノベルというのはリズムゲーム、音ゲーである」という言葉をいつの間にか自分は内面化してしまっていて、文章を読むことが中心となるテキストADVでもインタラクションが気持ちよく作られているかという目線で審美してしまう。

初めて触れた瀬戸口廉也作品である『SWAN SONG』は、その価値観を見事に否定したつくりにしかめっ面にさせられた。ゲームエンジンに吉里吉里を使っているにも関わらずクリック待ちという概念が無く、1クリックすると次のページの文章がすべてノンストップで表示されてしまう。インタラクティブな要素をわざわざ廃して、小説のように挿絵と停止した文章で画面を構成するこのスタイルは、恐らく瀬戸口廉也がビデオゲームへの愛着があまり無く、文芸寄りであるところから来ている。(実際に一度はゲーム業界からの引退を宣言し、唐辺葉介名義で小説を書く時期が10年続いた)

登場人物の肥大化した自意識が溢れ出す彼の文章はときおり危うさも感じる。しかし、『SWAN SONG』ではそのスタイルと対置させるように、自閉症の少女を他者とコミュニケーションを取れなくとも生きていける強固な人格を持つ人物として登場させる構成が優れていると感じた。瀬戸口廉也は自作にマイノリティを登場させることが多いが、共感の対象にするというよりも、異なる立場の人間を並列に配置することで、プレイヤーに様々な価値観を俯瞰的に捉えさせようとする意図が強い。過度に肩入れしないがカメラにはしっかり写していくという温度感が安心できる。本作でも、彼女一人に物語のテーマを背負わせるようなことは無くフラットに扱われていた。

『SWAN SONG』から17年後にリリースされた『BLACK SHEEP TOWN』もその延長線上にある。本作はミュータントと呼ばれる超能力を持つ人間が現れるようになった架空の世界を舞台としており、全年齢向け作品らしく『XMEN』のようなキャッチーさだ。しかしミュータントは知的障害を発症させ易い傾向にあり、いつ要介護者になってもおかしくないなど、生活に根ざした『ローガン』寄りのリアリティラインに設定されているところに瀬戸口廉也らしさがある。冒頭における、障害者施設に配属された若手看護師がいつの間にか患者と疑似家族的な関係となり職場から離れがたくなるというエピソードは、他のフィクションではあまり見られないものだ。

本作の魅力はほぼ『SWAN SONG』と同じと思う。誰か一人に肩入れすることはなく、様々なバックボーンを持つ人間が集まることで起きる事件を淡々と描いていく。特に『悪童日記』が下敷きになっていると思われる灰上姉妹のエピソードがとても気に入っている。常識の通じないミュータントの街の『悪童日記』ということで、彼女らは偶然出会った連続殺人犯を匿うという理解できない行動原理をみせる。本来の主人公である謝亮がマフィアのボスとして街のルールを合理的に書き換えていくのと対応するように、そこから零れ落ちた視点で事件の裏側を追っていく。群像劇のツボを押さえた傑作。今年ベストです。

どこかで見たことあるキャラデザと思ったら、ジャンプ+で『ロッキンユー』を連載していたコーンフレーcu氏が原画を担当していた。癖のある絵柄は自意識強めの瀬戸口廉也作品にピッタリ。

Jan Ski作品

itch.ioの新着をチェックしていると、稀に著名ビデオゲームを模した低品質作品が流れてくることがある。それらの大半はPV稼ぎやジョークを目的としたもので、ヒップホップのように既存のライブラリから新しい何かを生みだそうなんて志が感じられることはまずない。

サンプリングを使ったビデオゲームは意外にも企業から登場することが多い。それも殆どが任天堂作品(『メイドインワリオ』や『ファミコンリミックス』のこと)で、ビデオゲームに入るものは何でも入れようというスタンスの意味で須田剛一作品が挙げられるくらい。自分が無知なだけかもしれないが、そんな中、唯一フリーゲームシーンから真っ当なサンプリングゲームを生み出しているのがJan Skiだと思っている。

処女作の『Bad Dudes vs The Whole World』のジャンル名は「The first Mixtape Game」と名付けており、サンプリングの手法をゲームに持ち込んだことをはっきりと宣言している。過去のビデオゲームや映像作品をそのまま素材として使っていて、帝国少年のイラストを背景にヴァンパイアのバレッタを操作してメタルスラッグのヘリと戦ったりする。素材を借用することそのものが良いのではなく、元素材の味わいを完全に制御下に置き別の何かに見えるように高い品質でコラージュできているのが良い。

とは言え、ゲームメカニクスレベルではあまり分解できておらず2Dプラットフォーマーを採用しがちという欠点もあった。そこから前進したのが最新作である『Cowboy Bebop: Nope』だ。FPS、デートシミュ、腕相撲など、画面=プレイヤーの視点となるゲームメカニクスを採用しており、扱える素材の種類も変わった。これまでは2Dプラットフォーマーだったため敵キャラクターに使えるのは全身が見えている素材のみという縛りがあったが、今作は「画面へ向かって攻撃するXX」の映像素材がもれなく解禁となった。また、ボージャックホースマンや草薙素子など、様々なキャラクターとデートを取り付け腕相撲で決着をつけるという流れを用意したことで儀式性を帯びるようになったのも面白い。次作にも期待。

FF14 漆黒のヴィランズ~暁月のフィナーレ

昨年の10月に始めたばかりのFF14だけれど、『漆黒のヴィランズ』まで酸欠になりながら走り切り、正月明けから『暁月のフィナーレ』をスタートすることができた。人間やればできる。

昨年の振り返り記事でも軽く触れたけれど、FF14の良さは同じゲームを開発し続けることでしか至れない境地をプレイヤーに見せてくれる点にある。

ゲームのプロトタイプをVerticalSliceと呼ぶ通り、ゲームは複数の層で構築されていて、まずインフラ層を構築した後にデータ層を乗せることで完成する。ガタガタの仕上がりだった『新生エオルゼア』からしばらくは、インフラの完成に注力せざるを得なかった。トンネルを抜けた先の『漆黒のヴィランズ』では、スパゲッティコードを捨てるように舞台を異世界へと移した。良質なデータだけで満たされた本作こそがFF14内最高のエピソードだったと感じている。

妖精ティターニアは『漆黒のヴィランズ』の豊かな開発状況を象徴するキャラクターと思う。人間に従わない種族という設定の通り、メインプロットにおいて何も役割が無く、本当の意味で自由気ままだ。それ故にプレイヤーからとても愛された。彼女のような存在は、これまでの開発状況下では真っ先にオミットされていたはずだ。

完結編である『暁月のフィナーレ』は、異世界から帰還し、いよいよエオルゼアの物語を詰めにかかる。ここで主人公らが問題を打開するヒントを得るために、極彩色のオリエンタリズムの世界へ向かう展開が面白いと思った。FF14はこれまでもMMORPGという形式とそこで語られるシナリオを合致させようと社会的なテーマを扱ってきたが、異なる価値観に触れるショックをビジュアル面で表現できている。このドラッギーな世界を冒険するなかで、西洋的な「エーテル」の概念では説明できない事象が、インド哲学である「アーカーシャ」によって把握できるようになるという刺激的な展開がある。同じくアジア圏をモチーフとしたFF10のオマージュが多いなどファンへの目配せもうまい。(FF10の価値の再評価にもなっている)

王道ファンタジーから外す試みは、ビジュアル面のみでなくシナリオでも積極的に行われる。漆黒のヴィランズの時点でも兆候があったが、FFらしからぬ、SF的なロジックを使って論理的に世界の危機を演出することに挑戦しており新鮮だった。それも、作中でも明確なリファレンスがある通り、『三体』の暗黒森林理論を使っているのだ。宇宙の真理を知って背筋が凍り付くあの感覚を、まさかFFの中でもう一度味わうことになるとは想像もしなかった。吉田直樹体制下のFF14シナリオは松野泰己の中途半端なパロディのようで乗れない部分も多かったが、最後にはオリジナリティのある展開を見せてくれた。

Raft

初めて『ゼルダの伝説 風のタクト』で海に漕ぎ出したとき、その広さに感動しつつ、うまいこと嘘をつかれているなと小学生ながらに感じたのを覚えている。『Raft』をプレイしているとまさにその感覚を思い出した。

本作は昨今大量にリリースされているマルチプレイ要素をサバイバルにミックスしたタイプのゲームで、海面上昇により海だけになった世界をイカダを拡張しながら冒険していく。正直に言ってゲームプレイそのものに特別新しい部分はないものの、クラフトゲームにも関わらず具体的なマップを廃してしまうアイデアに衝撃を受けた。

どういうことか。ゲームスタート直後はイカダには帆すらないためプレイヤーは何もできずただ流されるしかない。しかし時間が経過すると、海の向こうからヤシの葉やプラスチックなどが流れてくるため回収してクラフトの素材にすることができる。時には小島に流れ着くこともあり、フルーツやまとまった量の木材を回収できる。

長くプレイして気付くのは、実はこのゲームには明確なマップがなく、プロシージャルに「素材」や「小島」を生成してプレイヤーの元へ流しているだけということだ。『Raft』の世界は常にプレイヤーの周囲数kmしか存在せず、『Left 4 Dead』のメタAIがプレイヤーの緊張度を見ながらゾンビを勝手にスポーンするみたいに、サバイバルゲームの世界を書き割り的に演出する。

非常にクレバーなデザインに困惑しつつも、サバイバルゲームの様々な問題を解決する理にかなったやり方であることが分かってくる。折角複数人で遊んでいるのに別行動しがちという現象も行動範囲がイカダの中で完結するので起きないし、拠点周辺で採取できる素材を刈りつくして遠征が必要になることもない。(拠点の方が海の上を移動していくので)

その代償として世界がやたら抽象的になっているものの、サンドボックスゲームの中でもマインクラフトだけが持っていたミニマルな美しさが異なる形で帰ってきたかのようで好意的に楽しんでしまった。

『Raft』の世界を漂流する感覚はかなりこのアニメに近いです

Immortality

映画とは、映像を編集でそれらしく繋ぎ合わせて成立させた曖昧な存在である、という認識を持っている人であれば『Immortality』は刺さると思う。

サム・バーロウによる本作は、映画になる前の大量の映像素材を閲覧することで、プレイヤーの頭の中で映画を作り上げていくという、新しい映画鑑賞のスタイルを提示するビデオゲームだ。『HER STORY』ではかつてのコマンド入力式ADVのように”当たり”の文字列を入力して映像を検索したが、今回は映像上のオブジェクトをクリックすると関連する映像に飛ぶというポイント&クリックADV的な操作感覚になった。(ちょうど福山さんの記事でこの辺りの歴史が紹介されている)

ただし、映像を繋ぎ合わせて見えてくる真相はあまり面白くない。前半ではフェミニズム的なストーリーを期待させる進行でこちらには興味があったが、実はそれはサブプロットでしかなく、フィルムに宿る霊的な存在にプレイヤーが気付くという展開になる。これは前述した「映画とは映像を編集で繋ぎ合わせて成立させたもの」という概念を誰でも分かるように説明したもので、プレイヤーに明確なインタラクションをもたらそうとしているのは分かるが、陳腐になってしまった感は否めない。

また、自分にとってその展開は二番煎じであり、衝撃がなかったからと言うのも大きい。実は、『HER STORY』が登場したときによく釣り合いに出されたPS版『lain』が全く同じストーリーを採用しており、少女のカウンセリングログを一方的に覗き見しているつもりのプレイヤーに少女の存在がインストールされてしまい、最後にはプレイヤーに直接語りかけてくると言う内容だった。(『NOPE』のような見る/見られるの関係の逆転がある) 少女がプレイヤーに対して決定的な一打を加えるために、画面に向けて自死するというビジュアルで結末を迎えるところまで完全に一致している。サム・バーロウは恐らく『lain』をプレイしてないと思うが、この種のゲームプレイでインタラクションを求めると、同じ結論にならざるを得ないのかもしれない。

やはり本作は、映画についての解像度が高さが一番の魅力ということでいいと思う。何より映像の完成度がビデオゲームのために撮影されたものとして最高水準であり、それゆえにバラバラな順でアーカイブを見ていく作業が苦痛でないのがとても良かった。

心霊的なものが発生する条件について考えるなら、ユリイカ9月号のJホラー特集にも寄稿している大岩雄典の活動を追うと楽しいかもしれない。この動画で語られる稲川淳二の「かたりべ」も傑作です。

以上。

今年は瀬戸口廉也、Jan Ski、サム・バーロウなど独自の視点を持つ作家の新作が光る年だった。

その一方、非常に残念だったのが『ELDEN RING』。自分は過去にソウルシリーズの全作レビュー記事を書いたことがある位には宮崎英高作品が好きだ。本作には、オープンワールドでプレイヤーをどう歩かせるかという視点で再発明があることを期待していたが、実態としては過去作から特に新規性はなく、これまで通り探索しがいのあるレベルデザインを職人技で作り込んでいくスタイルをそのままオープンワールドに適用するという物量で殴る設計思想に落胆した。結果、探索しなくてよいフィールドがどこにも存在せず、クリアまでに140時間を費やすことになったのは地獄としか言いようがなかった。ちなみに自分の最良のソウル作品は、ファストトラベルを排しても成立するフィールドづくりで圧倒的な没入を実現した『ダークソウル1』であり、この思想でオープンワールドを作り上げてみせた『Outward』の方が美しいゲームだと思う。

自分のオールタイムベストADVに入る『AI:ソムニウムファイル』の続編も、打越さんが脚本のみの関わりということで不安があったが、無難な仕上がりだった。一作目の『AI:ソムニウムファイル』はライフイズストレンジ系のアクション要素のあるADVをスパチュンの開発力で日本から生み出した点も良かったが、何より凄まじいのは打越さんが3DモデルでADVを作る理由について真摯に考察した形跡が見えることだった。ネタバレになってしまうが、肩で呼吸するモーションが実装された3Dモデルのキャラクターと、主観視点で向き合うことで生まれる実在感を利用して、実は目の前にいるキャラクターはその人本人では無いことに気づかせないというトリックを打越さんは採用した。(プレイ前は劇中に登場するYouTuberが我々にとってはVtuberに見えるという倒錯具合が面白い本作だが、ゲームをプレイして彼女がYoutuberに見えるようになった時我々は騙される。) これは小説では成立しないゲームならではの表現で、打越さんがこれまでADVというジャンルに対して行っていた考察が、3Dモデルでゲームをつくる意味に対しても向くようになったという点で、作家が第2フェーズに入った瞬間を目撃した衝撃があった。『ニルヴァーナ イニシアチブ』もゲームでしか成立しない表現への追求はあるものの、打越さんがシナリオ上に載せる人間愛のメッセージとコンフリクトを起こしていてクリティカルな仕上がりにならなかった印象が強い。

『アルトデウス』を生み出したMy Dearestの「ディスクロニア EP1』もパッとしなかった。刑事/検事ものというジャンルの面白さは自覚した作りになっていて、今回から実装されたVR空間で再現された街を自由探索して事件を追うシステムも、管理社会の問題を描くシナリオと対応づいているし、主人公を街の統治者の養子にすることで、自分の親は人格者だったのか他人から搾取する悪人だったのかをジャッジするという『Tell Me Why』的なストーリーになる予感を感じさせる。しかし、EP1の時点で裁判パートが1回しかなかったり、弁護する相手が主人公と関わりのない胡散臭いおっさんだったりと、My Dearestの開発力でシステム面は完成しているのに乗っかっているシナリオの質が悪すぎてジャンルの魅力が全く出ていない。過去作と真逆で、架空の世界を作る意欲が高い一方でドラマが足りていなかったり、VRであえてビジュアルノベルをやってきたクレバーなスタジオのはずが没入のロマンに振り回されていたりと、なんだか心配になってしまった。

期待していた大作の多くがパッとしなかった一方で、OVERWATCH2やスプラトゥーン3、ReturnalのCoopアップデートなど、マルチプレイゲームはどれも面白く、ついつい時間を捧げてしまった。

来年は『レインコード』『アーマードコア』『SF6』『Judas(発売日未定)』に期待しています。(Judasは久しぶりにトレーラーで舞い上がってしまった) あと1作目が好きすぎて『デススト2』が不安です。