『PARQUET』のリズムとハードボイルド・ワンダーランド

正月にプレイしていたゲームの中に、ゆずソフトSOURの『PARQUET』があった。ロープライスADVということで粗い部分はあれど、二人のヒロインのエピソードが交互に進むことで生まれるリズム感に強く惹かれた。

この構成とリズム感、どこかで覚えがあると思ったら『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』などの、スワップ構成を持つ村上春樹の長編小説だったことに気づいた。

いい機会なので、『PARQUET』の感想とともに、スワップがもたらすリズムとは何かについて整理してみたい。

PARQUETのスワップ

ゆずソフトは美少女ゲームメーカーであり、普段はキャラクターの魅力に特化した恋愛ADVを制作している。

『PARQUET』はロープライス作品ということで、ヒロインを二人に絞る代わりにコンセプトを尖らせた。

記憶のデータ化が実現した近未来で、同じ体に同居する二人のヒロインが、昼と夜で交代しながら日々を過ごしているという設定を採用した。舞台となる街は新宿歌舞伎町をモデルとしており、昼と夜のコントラストを強めることで、実質異世界を行き来するような読み味を目指している。

群像劇ではないため、『428』のように任意のキャラクターのエピソードから読み進めることはできず、昼→夜→昼→夜と必ずスワップが発生する。片方のヒロインが出ずっぱりになることは慎重に避けられているから、その頻度も高い。結果、プレイヤーの中に大局でのリズムが生まれ、Enterキーを押してテキストを読み進める行為に静かな推進力がかかることになる。このゆったりとした波に身を委ねる体験そのものに、本作の一番の魅力がある(この大局のリズムについては後で詳しく触れる)。

また、二人分のエピソードを描くと一日が経過するという明確なルールが、登場人物らが生活者であることの説得力として機能しているのも面白いと感じた。

本作は近未来を舞台としているものの、派手なSFアクションのようなものではなく、孤独な都市生活者の日常の機微を描くことにフォーカスしている。ヒロインの二人にも生活費を得るための仕事がそれぞれにある。劇的な出来事があった日も、そうでない日も、平等に時間は進み一日が終わるのだという感覚を構成が強調する(そもそもゆずソフトは日常のムードを描くことを得意とするメーカーであり、本作の特殊な構成もそこに回収されるのは面白い)。

村上春樹のスワップ

この2つの世界をスワップする構成を最も自覚的に使ってきた作家が村上春樹だろう。

この構成は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で初めて採用された。奇数章で『ハードボイルド・ワンダーランド』の世界を、偶数章で『世界の終り』の世界が描かれることが特徴で、二つの独立したように見える物語が奇妙なロジックで繋がっているという大きなコンセプトがあった。

しかし、本当に特筆すべきは、このスワップ構成が群像劇であるはずの『海辺のカフカ』や『1Q84』で再び採用されたことだ。このフォーマットが長編小説にもたらす利点に村上春樹は気づいた。

スワップとリズム

スワップ構成は長編作品に以下の3つを与える。

  1. リズム
  2. 編集
  3. 味直し

2と3はスワップに限らず群像劇でもよくある要素だから想像しやすいと思う。

例えば『428』をプレイしていて、加納刑事の緊張感のあるエピソードを読むのに疲れたからネコの着ぐるみのタマ編へ移動するのは、味直しと同時に視点移動という編集である。

映画ならば編集に意図が付与されて、より洗練されたものになっていく。ウォシャウスキー姉妹とトム・ティクヴァによる『クラウドアトラス』は、6つの時代の物語が編集で同時進行する。走る馬と電車をモンタージュで繋いだり、異なる時代にいる二人の主人公の危機がまるで同じ時間帯に起きているかのように編集して盛り上がりを生む。この接続の手際そのものが一つの見所となる。

そして本題である1のリズムについて。

スワップ構成を採用した『ハードボイルド・ワンダーランド』などは、いずれも分冊が必要になるほどの大作だ。長編小説においてスワップを行うと、読書体験の中に一定の間隔でグリッドが入ることになる。それが身体に馴染み出すと、やがてグリッドはリズムとして感じられるようになり、中毒的な快楽が生まれる。

この快楽は、無心にランニングするとき、あるいはクラブで四つ打ちを聞き続けるときに感じる心地よさと似ている。ダンスミュージックのBPMが120前後なのは、人間の鼓動に近く本能的に興奮を覚えるからという説もあるらしい。

村上春樹作品で突出しているのはこのリズムとしての効能だと思う。そして出しやすいはずの編集の面白さはむしろ控えめに抑えている。ここに独自のバランス感覚がある。

村上春樹の小説には身体性を感じさせる描写が頻繁に登場する。作家本人が毎日1時間のランニングを習慣にしていることや、長編小説に挑む際は、調子が良い日も悪い日も必ず原稿用紙10枚分の文章を書くことを自身に課していることを『職業としての小説家』で語っている。健全な生活サイクルが長編小説の執筆を可能とする思想が、文章や構成にまで表れているようにも見える。

『PARQUET』がスワップが生むリズムに自覚的だったかというと怪しい。どちらかといえばキャラクターゲームを作り続けてきたメーカー故に、二人のヒロインの登場バランスにこだわるうちに自然と出てきたものだと思う。ビデオゲームにおいて、キャラクターの魅力に特化した作り込みがコンセプトの強度を弱めるケースも少なくないが、本作はその逆で、突き抜けた拘りがポジティブな効果を生んだことが面白いと感じた。

ビデオゲームと編集権

複数の主人公を持つビデオゲームはこれまで多数生み出されてきたし、名作も多い。しかしその多くは、ビデオゲームの”好きなところから読み進められる”という性質を活かそうという発想から生まれた企画であるから、編集権はあっさりとプレイヤーに手渡されていた。

それに対して、『PARQUET』は編集権をプレイヤーに渡さず制御し切ったことが大きな違いだった。何しろ本作には選択肢による物語分岐すらない。

おまけ

以下は余談。

本文ではあえて省いたが、一定間隔でのスワップを自覚的にメインコンセプトに掲げたゲームが実は存在する。それがキングダムハーツ3D[ドリームドロップディスタンス]だ。そして前述したどの作品とも似ていない怪作である。

シリーズお馴染みのソラとリクがW主人公として登場し、画面右下のドロップゲージがゼロになると夢落ちして操作キャラクターが入れ替わるというシステムを採用している。純粋なカウントダウンでスワップが発生するため、編集の意図がなく甘い仕上がりに感じるかもしれない。しかし意図がないからこそ、夢落ち≒スワップの繰り返しによって、夢の中の夢の中の夢・・・、と無限の階層に落ちていく感覚をプレイヤーに与える。