20200603 あfろ先生と安倍吉俊

この前ゆるキャンのアニメを全話見た話をした。その流れで原作者であるあfろ先生の漫画を一式読んでみたのだけど、その作風にかなり惹かれるところがあった。それは、自分が安倍吉俊に感じている魅力と近いものだと思う。以下にあfろ先生の漫画の感想や、安倍吉俊を連想した理由について書いてみる。

あfろ先生の作品を俯瞰してみた時、実は『ゆるキャン△』は転換期にあたる作品になる。ゆるキャン以前に書かれた『月曜日の空飛ぶオレンジ』と『シロクマと不明局』は、うってかわってどちらも著者のイマジネーションを炸裂させたかのような架空のSF世界を舞台にしたものになっている。どちらも登場人物達がシュールなギャグを永遠に続けるという読者を選ぶ内容で、処女作である『月曜日の空飛ぶオレンジ』は打ち切りだったのか唐突な最終回を迎えている。あえて偏見を持って言うなら、『ゆるキャン△』は自らの持ち味と信じていたものを封印して、読者へ配慮した大人になって書かれた作品だ。

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『月曜日の空飛ぶオレンジ』1巻より。こんな感じのシュールなギャグが永遠に続く。

しかし、この2作はひたすら荒唐無稽な展開が続くながらもメインプロットと呼べるものが一応存在していて、どちらも奇妙な事態が巻き起こる世界の仕組みに迫るという、自身の作風と綺麗に対応させた読み応えのあるものになっている。そこからは、好き勝手やっているようで、どこか自身を引いた目で見ているかのようなバランス感覚が感じられる。

特に2作目である『シロクマと不明局』は完成度が高い。冒頭2ページ目で突如死んでしまう主人公が煉獄でスローライフを送るというもので、仕事を探したり、新しい人々との出会いなどを通して成長するモラトリアムものになっている。死後の世界での生活という設定はシュールなギャグをやり続ける理由付けとして納得感がある。しかし本当に驚かされるのは、物語の終わりにおいて、主人公は自身の死の理由について知りもう一度新しい人生を望むという、モラトリアムものとして真っ当な展開をしつつ、自身の作風のために間借りしていたように見えた煉獄という設定にもケリをつけてみせることだ。

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『シロクマと不明局』1巻より。食堂の間取りといい完全にかもめ食堂のパロディ。意外とガッツリ先行研究とかしてるんだろうか。

ここで安倍吉俊の話に戻る。あfろ先生との比較として出してしまったけど、そもそも安倍吉俊は漫画家出身ではない。HPに挙げていたイラストがアニメ業界の目に留まり『serial experiments lain』に参加したのが初めての仕事であり、つまりイラストレーターから始まっている。『serial experiments lain』の後、プロデューサーの上田耕行からの無茶ぶりによって『灰羽連盟』の脚本を担当させられたのが安倍吉俊の初めての本格的なストーリー制作の仕事だ。

『灰羽連盟』は安倍吉俊の同人誌が原案であり、『NieA_7』や『回螺』にも通ずる、現実とは異なる架空の世界を舞台した物語になる。安倍吉俊は”人間の頭の中にもう一つの世界がある”というモチーフに関心があることを著作のあとがきなどで明かしている(ソースは忘れたけど関心のある作品として『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『旅のラゴス』に言及したこともあったと思う)。

『灰羽連盟』は灰羽と呼ばれる背中に羽を生やした人間がいる世界の物語で、灰羽は巨大な繭から成長した子供の姿で生まれ、街で過ごした後、時が来ると街を囲う壁の外の世界へと巣立っていく。『NieA_7』と同じく、デビューまでの期間が長かった安倍吉俊のモラトリアム的な志向が反映されたような設定だ。安倍吉俊は初めての経験ながら、アニメ全13話の脚本を見事に書き切っている。イラストレーター出身でありながら、説得力のある架空の世界を描くということのみに終始するのでなく、灰羽の設定そのものに行って帰る物語の構図を仕込んでいるなど資質を感じさせる。更には灰羽である主人公が外の世界へ行くまでの物語になるかと思いきや、罪の意識に囚われ街から出られなくなっている先輩の灰羽を送り出すことが最終回におけるプロットになるなど、煉獄めいた世界観設定に対する更なる深堀りを行うツイストまである。

あfろ先生と安倍吉俊の一つ目の共通点は、作家活動の初期において、自分の頭の中にある架空の世界を出力することに関心を持ち、またモラトリアムものという利己的な作品に成りかねない危うい要素を選択しつつも、持ち前の物語設計能力によって納得度の高い物語を作り上げていることだ。

あfろ先生は『シロクマと不明局』の完結後、4コマではない漫画作品として『ゆるキャン△』を書き大ヒット作となる。これに平行して立ち上げられた新作が『mono』だ。

『mono』はゆるキャンとは異なり再び4コマ漫画に戻っている。舞台はSF世界ではなく、写真部に所属する女子高生たちの日常を描くという内容だ。作中では主人公の持つ全天球カメラで撮影された魚眼レンズ風の風景が度々挿入される。しかしこれは『mono』から始まったものではなく、処女作から続く演出だ。著者の写真趣味が染み出してしまったものと捉えても良いかもしれないが、もしこういったレンズを通して見た風景から得られる情緒を作品に取り込もうとしているとしたら、それはどういったものだろうか。

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『mono』1巻より。

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『月曜日の空飛ぶオレンジ』1巻より。

『mono』が異質なのは、現実世界を舞台とし女子高生を主役に据えているのにも関わらず、初期作以上に荒涼な印象を受けることだ。そもそもこの作品は、大好きだった先輩に憧れて写真部に入った主人公が、先輩の卒業により抜け殻になってしまったところから始まる。主人公の死から始まった『シロクマと不明局』と同様に、全て終わってしまった世界をどうやって面白おかしく生きていくかという話だ。そのための手段として写真部の面々は「RICOH THETA」や「HX-A1H」や「GoPro」で世界を撮って遊んでいる。

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『mono』1巻より。

あfろ先生はぶれることなく、劇的なことは起こらない曖昧な日常を生きる感覚をそのまま自身の漫画にも反映してきたのだと思う。そのやり方でも才能があったから商業誌で連載を続けることができた。しかし、自身の親しみのある4コマという枠から離れ、万人受けするような明確なドラマを演出することに挑戦したのが『ゆるキャン△』なのだと思う。そういった目線で見た時、『mono』は見事に表裏の関係にある作品だ。

ちなみに『mono』のストーリーは、写真部に所属する主人公らがとある4コマ漫画作家と出会い、漫画のモデルとして山梨周辺で部活動を行うというものだ。その中では、出版社の依頼によりとあるキャンプ漫画のロケ地探訪をする回もあるなど、著者の生活に作品がギリギリまで接近している。

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『mono』1巻より。理想と現実。

安倍吉俊は『serial experiments lain』以降幾つかのアニメ制作に関わった後、イラストレーターとしての仕事が主となっていくが、2009年より漫画作品『リューシカ・リューシカ』をガンガンONLINEで連載する。少女リューシカの日常を描く漫画で、まだ固定概念を持たない少女の感性から見た世界をビジュアル化していることが特徴だ。安倍吉俊は2011年には入籍しており、子供を主人公としたのは年齢や生活面の変化が影響しているのかもしれない。ここで面白いのは、舞台こそ現実世界となったものの、『リューシカ・リューシカ』は安倍吉俊が過去作から扱ってきたテーマの延長線上に綺麗に乗っていることだ。これについては『リューシカ・リューシカ』の直前に完結した『回螺』と比較するのが分かりやすい。

『回螺』は安倍吉俊が商業デビュー前に描いた同人誌から始まる連作で、10年分の作品が1冊の本にまとめられワニマガジン社から出版された。オムニバス形式であり各話は独立しているが、共通するのは人間の記憶と意識、そして世界との関係性についての物語であることだ。

例として、デスゲームの構造が用いられた『白雨』のあらすじを挙げる。2人の登場人物は目が覚めると迷宮に閉じ込められている。出口を求めてさまようが、いつの間にか殺し合いになり、生き残った方は本能的に相手を捕食してしまう。実はこの物語は分割された人間の意識を統合する実験の様子を表したもので、登場人物はその意識そのものだ。捕食により相手の記憶を取り込んだ主人公は世界に対する認識が変調し、迷宮の出口が見えるようになる。しかし、その先でも全ての意識が統合されるまで同じ出来事が無限に繰り返されることが示唆され物語は終わる。

『回螺』はいわゆるクオリアのような人間の認識メカニズムへの興味から生まれた作品で、『白雨』は人間の世界の認識の仕方は記憶によって変調するのではないか、という著者の考察を物語にしたものなのだと思う。『リューシカ・リューシカ』は一見子育てもののように見えるが、恐らく「子供の頃に見えていた世界は大人になった今と少し違っていたはずだ。あれはなんだったんだろう。」という疑問からスタートしていると思われる。安倍吉俊のこういった人間の認識への偏執的な興味は、イラストレーターという職ゆえに通る、絵が成立するまでの情報量についての考察といった範囲を超え、著作に繰り返し登場している。

あfろ先生と安倍吉俊は、あくの強い作風ながらも、実はいつも素朴な感性で作品を作っているのだと思う。そのため外圧のない状況で立ち上げた作品には、その時の生活や興味のある事柄がそのまま反映されてしまう。しかし、表面的にはジャンルすら変わったかのような変化があっても、その核には一貫した作家独自の視点がある。むしろ、その視点を巧みに流用して次はどんな作品を生み出すのかという手つきそのものが一つの楽しみにすらなっている。

長々と書いたけれども、要は二人とも才能があるのに、経歴を俯瞰して見るとどこかマイペースさが滲み出ているところに魅力を感じているのだと思う(作家の視点に個性があるからこそ、それで成立するんだという前提付きだけど)。こういったタイプの作家は追いかけ甲斐がある。何年かに一度くらいの頻度でいいので、思い立った時に活動内容をチェックすると、その時に作家がどんなことを考えていたが作品を通して分かり、他人の人生を覗き込むような楽しみ方ができる。自分はRSSリーダーでブログを読み漁るというのを習慣にしているのだけど、そのより高純度なバージョンのような感じがある。

余談だけど、安倍吉俊は最近、愛機「SIGMA fp」の動画撮影機能の実験としてYoutubeに積極的に動画を上げている(これです)。その中で、ツイッター社から公式マークを付与しようかという提案を貰ったのに恐縮すぎて断ってしまったというエピソードを紹介していて、つい笑ってしまった 。動画での語りの印象もそうだけど自己顕示欲を感じないんだよね。よく生徒に懐かれる教授のような雰囲気がある。そしてあfろ先生に至ってはそもそもSNSアカウント等の発信場所が一切ないというご隠居ぶり。この記事を書くにあたってwikipediaやインタビューなどを漁ってみたけど、年齢や性別などの情報も見つからなかった。でもこれは秘密主義を貫いているというより、「聞かれなかったから答えなかった」が続いた結果としてたまたまそうなったのではという気もしてくる。

安倍吉俊は同人誌の『飛びこめ!!沼』シリーズが読んでみたいんだけど、最近はコミケから足が遠のきがちで未だに手に入っていない。『惑星ラーン』も初めの1巻を見ただけで止まってる。あfろ先生は『mono』の2巻がそろそろ出て良い時期だと思うので、まずはこちらが楽しみかな。

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『mono』1巻より。

20200523 DMCとブレイド

ツイッターを眺めていたら、神谷さんが面白い話をしていたのでメモ。

ブレイドは1998年公開のアクション映画で、DMCの元ネタの一つではないかとよく挙げられる作品。主人公は人間と吸血鬼のハーフという設定や、真っ黒のスーツを着込んだ男が刀や銃を駆使して吸血鬼を切り倒す光景など、確かに共通点は多い。


Blade (1/3) Movie CLIP – Vampire Killer (1998) HD

とはいえ、多くのアクション映画があるなかブレイドが挙げられやすいのは、リアリティを無視して全能感を剥き出しにした無茶なデザインというところから穿った目線で連想されてしまっている部分があると思う。

でも神谷英樹が作るキャラクターにはそういうダサさを感じたことってあまりない。神谷さんはあくまでプレイヤーが感情移入しやすいヒーロー然とした主人公を作り上げようとしているのであって、一見全能感バリバリに見えてしまうダンテも、アマテラスやビューティフルジョーと同じ発想で設計されているのだと思う。

とか考えてたら、ご本人からも同じようなコメントがあった。

しかしプロジェクトG.G.はどんなゲームになるのか全然分からない。特撮ネタっぽい雰囲気だけど、着ぐるみの繰り出す重鈍なアクションって神谷さんのゲームとは真逆だよね。プラチナゲームズによる自社パブリッシュ作品なのに、客層を選ぶジャンルなのも気になる。勿論その辺りはちゃんと戦略があるんだろうけど。

スケイルバウンド以来神谷作品はお預けになっているので、特に特撮に興味のない自分でも楽しめるゲームだと良いね。

20200519 棒立日記

だらっとYoutubeを眺めていたら見つけてしまった。


どうも日本、海外問わず、あらゆる場所で棒立ちしているだけの動画を集めて投稿しているらしい。検索したところでは4ヶ月前に開設されたインスタグラムアカウントがオリジナル。かなり面白いと思うけれど、伸びている動画でもまだ100再生ちょっとに留まっている。

 https://www.instagram.com/boudachi_1_diary/?hl=ja 

自分も旅行に行くと、その場の空気を記録するためにiPhoneをfixして数十秒撮るというのをよくやるので、投稿者が同じことを考えているのかはともかく一方的に共感してしまった。

しかし真顔で棒立ちしているので、中には周囲の人に気味悪がられているのもあるね…。

20200504 ゆるキャン

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数日前、はてなブログから「更新が1ヵ月止まっている」とメールが届いた。むしろこれまで更新が続いていたことの方に驚かされるけれど、自宅待機が始まった日とぴったり重なっていてなるほどと腑に落ちた。自分は外出好きのインドア派で、休日は必ず電車に乗ってどこかへは行くんだけど、結局映画館なりに引きこもるというよく分からない生活がルーチンになっている。このブログを用意したのも、そうやって出先で撮り貯めた写真を公開したり、その時考えていたことをメモする場所が欲しかったからだった。

今年のGWは強制で自宅待機になってしまったが、積んでいるゲームや本が山ほどあるのでそこまで苦でもない。30時間くらいプレイして放置したままのラムラーナ2を片づけるとか、オンライン公開されたホドロフスキーの新作を見るとか色々考えていたのだけど、いざ連休が始まって最初にやったのはゆるキャンを全話見る事だった

ゆるキャンの良さは「しまりんがかわいい」の一言で8割くらい説明できる気もするけど、それは流石に酷すぎるのでもう少し書いてみる。

まずキャンプ趣味という題材がアニメーション作品との相性が良い。「テントを設営する」とか「炭に火を点ける」とかそういう動作を細やかに描写していくだけでも楽しいし、時には環境音のみを鳴らしながら風に揺れる草木をゆっくり映してみるとか、絵・音・時間を扱う映像作品としてネタに出来る要素が無限に転がっている。キャンプ場に着くまでも温泉や道の駅とかどんどん寄り道していくので、背景が固定されずに変わっていくのも良い。制作スタッフはロケハンもやったそうで、その成果もあってか、キャンプ場における地上との時間の流れ方の違いみたいなものが濃密に映像に反映されていると思う。

こんな風に説明してしまうと趣味性の高いハードコアなアニメみたいだけど、きらら原作なので、もちろん女の子たちがわちゃわちゃしている姿を眺めるのがメイン。主人公であるしまりんとなでしこの交流を追うのが少なくとも本編におけるストーリーの主軸になっているのだけれど、ゆるキャンの面白いところは、それがソロキャンパー派のしまりんと野外活動サークル(野クル)に所属するなでしこという別ジャンルで活動している人らの異文化交流として置き換えられていること。1人で行動していたしまりんが野外活動サークルに所属するようになっておしまい!みたいな展開にはならず、あくまで嗜好の違いとして描かれているのが心地良い。

キャンパー文化による置き換えはこれだけではなくて、特筆すべきは9話。原付で長野へ向かうしまりんを、自宅にいるなでしこがスマホでナビするという回。しまりんは山の待合室で居合わせた登山家のお姉さんにほうじ茶を貰うなど、山の上でしか発生しないようなコミュニケーションを経験しつつ目的地を目指す。しかし、キャンプ場に入る道に立入禁止の看板が置かれていて立ち往生するという事件が起きる。ここでは、なでしこの家に来ていた大垣千明(野クルの部長。しまりんからは苦手意識を持たれている)の助言によって、なんとか目的地に辿り着くことができる。これは直前にあったほうじ茶のエピソードと対比されていて、同じ学校に通っていたのに微妙な仲だったしまりんと千明が、山の上で自然に行われるキャンパー同士の助け合いのような形で距離を縮めるという構図になっている。(それがスマホ上でのやり取りに置き換わっている所も面白い)

こんな感じで女子高生達のコミュニケーションが、キャンパー文化と密に絡むようになっているのが、ゆるキャン独自の面白い部分だと思う。

この辺りの構成が原作からかっちり組まれていたのか、アニメ化するにあたって調整した部分なのかは気になるところ。まだ10巻くらいらしいので読んでみてもいいかも。でも来年2期もあるらしいし、原作の答え合わせみたいにアニメ見ることになるのは嫌だし迷う。

あと完全に余談だけど、しまりんに「ノリが合わない」と敬遠されている千明の声優が原紗友里なのは笑ってしまった。声色も殆ど変えてないせいで、一人でテンション高めに喋り倒す場面とかはデレパがよぎるんだよ! 年を取ってデレパから離脱していった頃の自分を思い出しながらしまりんに共感するという全方面に失礼なことをしていた。

20200322 和光

蓮沼執太 “BELLS”

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この日は銀座の和光へ蓮沼執太のインスタレーションを見に行った。告知がほとんど無くひっそりと行われていたが、蓮沼執太の野外展示の中でもぶっちぎりで面白かった。

和光といえば初代ゴジラでも破壊された銀座のシンボル。当時、無断で使用された和光側が東宝に抗議を申し入れるといういざこざもあったらしい。ちなみにシン・ゴジラでも実は破壊されており、内閣総辞職ビームの巻き沿いで横なぎにされた。和解の象徴と言えるでしょう。

和光では15分ごとに鐘が鳴らされていて、今回の作品はそれに合わせて蓮沼執太の作曲した音楽が流れるというもの。ウィンドウディスプレイには武蔵淳による時計をイメージしたデザインが施されおり、こっそり展示についての説明もある。

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この作品が面白いのは、その鐘の音をレコーディングして使っていること。つまり本来はきっかり毎時15分を告げる役割を持つ筈の音が不定期に鳴り続けることになる。これは実際に体験するとかなり奇妙な感覚で、この場所を通り過ぎる人が「何これ?」という表情で音のする方向をちらっと見るのを見かけた。解説文には「その鐘の『サウンド』を使った音楽が街に広がることによって、日常を曖昧にし、人々が持つ異なる時間軸を現前させます。」とある。つまり、日常の象徴である鐘の音をずらした鳴らし方をさせることで、もはや当たり前の風景として見逃している交差点を行き交う多様な人々へ改めて意識を向けさせることが狙いなのだと思う。

蓮沼執太は美術館やギャラリーの中で狙いをもって音楽を鳴らすということはこれまでもやってきたけれど、この作品は銀座の和光という場所でしか成立しないものであるし、またリサーチを重要視する彼のスタイルとも一致していてとても面白かった。

A10で交差点の音も拾ってきたので以下に公開しておきます。

20200308 千駄木

この日は健康診断で鶯谷にある健診センターへ。どうしてそんなところに・・・と思われそうだけど、ここには都内で最も気に入っている銭湯の一つである萩の湯があって用事を済ませた後に湯につかるという計画だった。が、コロナウイルスのせいでとても銭湯なんか行ける雰囲気ではなく断念することに。そのまま帰るのも勿体ないので日暮里で蕎麦を食べたついでに千駄木方面へ散歩してみた。

日暮里駅から北側へ向かうとやたら賑わっている商店街にたどり着いた。谷中ぎんざというらしい。

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観光地のようにスイーツや雑貨の店がずらっと並んでいて、その中にポツポツと昔ながらの食料品店が紛れているという面白い場所だった。とてもアクセスの良い場所とは思えないけど、明らかに地元の人には見えない若者や外国人観光客で溢れていた。不思議。

千駄木は坂だらけで歩きにくい場所だけれど、ローカル感のある店や建物が多くて見ていて飽きない。

あっ、毛沢東

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コロナウイルスの影響で閉館していた森鷗外記念館。知らなかったが、この辺りには観潮楼と呼ばれる森鷗外の自宅があったゆかりの場所らしい。

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本郷図書館。ちょっと宗教的な雰囲気を感じる外観。

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江戸川乱歩をテーマにした喫茶店

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時代に取り残されたかのようなヤマザキ

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グーグルマップでたまたま見つけたSCAI THE BATHHOUSE。なんと李禹煥の個展をやっていた。

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台東区らしく、かつてあった銭湯をリノベーションしてギャラリーにしてしまったらしい。入り口には靴入れがそのまま残っている。

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中は綺麗に改装されて真っ白な空間になっているけれど、シルエットは銭湯のままなのが面白い。天井には換気用の窓だった部分がそのまま残っている。ゆとりのある広い空間とシンプルな李禹煥の作品は、とても相性が良いように見えた。

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帰りはなぜか谷中霊園の中をぶっちぎるルートを選んでしまった。タワーマンションが空気を読まない風景。

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20200301-02 金沢/金沢海みらい図書館

金沢後半。

金沢海みらい図書館は多くの観光地と異なり駅の北側にある。バスは駅前のロータリーからは出ず、少し離れたバス停を使わないといけない。窓からの景色は観光地感はなく、道路の沿線にスーパーマーケットや飲食店がずらりと並んだ田舎らしいものになる。そこで突然現れる巨大な白い建物が、金沢海みらい図書館になる。

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写真でこそ見たことあれど、やはり実物は圧倒的な存在感。

近くで見ると外壁は同じ形のカバーを敷き詰めて構成されているのが分かる。もしかして汚れたら交換可能な設計なんだろうか。

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ドキドキしながら建物内へ入る。ここでは静かな環境をつくるために1階が児童図書コーナー、2階と3階が一般図書コーナーと分離されている。螺旋階段を登り潜水艦を思わせる丸みをおびた扉を抜けると、一面真っ白の広大な空間が現れる。

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まず圧倒されるのが2階と3階を繋げた巨大な吹き抜け。初見では蔵書数よりも解放感を優先した大体な設計だなぁとか考えていたが、実はそれだけが理由ではない。館内は柔らかい自然な明るさで保たれていて不思議な居心地の良さがあるのだけれど、天井を見上げると照明器具が一切ないことに気づかされる。

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みごとにつるつる。

ではどうやって明度を確保しているのかというと、壁に空いている無数の穴(窓)から採光しているらしい。つまりこの大胆な吹き抜けはスペース全体に日光を行き渡らせるために用意された構造だったという訳。

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夏は眩しくなったりしないんだろうかと余計な心配が浮かんだりもするけど、恐らく窓の材質や太さでうまく緩衝されるよう計算されているのだと思う。

このアイデアが所謂”オレオレ”な感じがしないのは、閉塞的な場所にならないように、書架の一覧性があるように、という図書館をつくる上で最初に挙がるだろう課題に真摯に取り組んだ結果生まれたものであることが分かるからだと思う。真っ白な内装も過剰に清潔感を主張しているという感じではなく、外からの光で色が変わるなどうまく調和している印象を受ける。市民にも愛されている模様で、この日も勉強している学生や新聞を読むお爺さんまで幅広い年代の人で一杯だった。館内にあった図書館だよりによると駐車場が埋まって困るという苦情が来るくらい人が来ているらしい。

蔵書も漁ってみたが建築関係の本もやはり充実していて、その中には設計者によるこの図書館の解説本もあり面白いことが色々書いてあった。

例えば3階にあるこの謎のスペース。

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ガラスで囲ってあるだけの奇妙な場所だが、実はこれが換気システムらしい。ここは図書館の外側にある構造体と繋がっていて室外機の役割を果たしている。

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その他にも館内の書架は全て特注で、足元には細かい穴が開いておりそこからも換気をしているらしい。目立たない形で図書館全体に空気が循環する仕組みが用意されている。

海みらい図書館は本当に居心地が良く、もっと金沢の他の場所に行ってみても良かったもののダラダラ過ごしてしまった。以前人に勧められたカット・メンシックの挿絵が入ったバージョンの図書館奇譚を見つけて読んだりなどしていた。

短い富山金沢旅行はこんな感じ。そういえば金沢21世紀美術館の次の展覧会は好きな作家の一人である内藤礼の個展らしいので、また来ることになるかも。鈴木大拙館もリベンジしたい。


20200301 kanazawa

20200301-01 金沢/近江町市場~金沢市立玉川図書館

旅行二日目。金沢。

前回の記事にも書いた通り、コロナウイルスの影響で市内の観光施設が一斉閉館してしまった。このため急遽プランを変更し、金沢の有名建築を回ることにした。

しかしまずは腹ごしらえということで、朝一で近江町市場へ。

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って人少なっ!!

普段ならどの店も行列が出来ているはずなのに選び放題。人混みを避けたくて朝一に来たのは確かなんだけどここまでは求めてない。

異様な雰囲気を感じつつお目当てだった金沢おでんを頬張っていると、それでも少しずつ人が集まってきた。

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自分も牡蠣やサザエなどを頂いて満腹に。

離脱して最初のお目当ての金沢市立玉川図書館へ。

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金沢の図書館と言えば海みらい図書館が人気だけど、こちらも有名。豊田市美術館などを設計した谷口吉生とその父谷口吉郎の共同作品。外壁はところどころガラス張りになっていて、風通しの良い感じ。

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しかし一番ぶっ飛んでいるのは中。おわかりいただけただろうか。

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書架に一本の柱も被っていない!しかも唯一ある柱は壁との間に照明を設置して閲覧室として利用している。書架と天井までの距離もたっぷり確保されていて視界もよく通っている。やっぱり図書館で最も大事なのは一覧性であって、それを追求することで洗練された外観になるのが理想だと思うけど、まさにそれが実現されているように見える。こんな図書館を普段使いしてみたい…。

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特徴的な金属製の天井と、障害物なく真っすぐに並ぶ書架。

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柱が無くどこまでも見渡せる。

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中庭に面する壁は全面ガラス張りになっていて開放的。図書館にありがちな圧迫感は無い。

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2階(別館)とを繋ぐ特徴的なブリッジ。

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宙に浮く喫茶店

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2つの棟を繋ぐ特徴的な梁。館内に柱がほとんどないのはこれのおかげなのか。

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館内マップ。あの登りたくなるブリッジは児童図書コーナーへ繋がっている。

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図書館のすぐ隣には公園があり、周囲一帯が市民スペースになっている。読書で頭が沸騰してきたらこちらのベンチで風にあたるのも良さそう。

この後は金沢駅へ一度戻り、地元で評判の良いステーキ屋で肉を食べた。(能登牛ではない。でも金沢は何を食べてもうまい。) その後バスで金沢海みらい図書館へ向かった。

長くなったので記事は一旦ここで区切る。

20200229-02 富山/富岩運河環水公園まわり

富山後半。 

ライブの後は近くにある富岩運河環水公園へ。

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以前の富山旅行でも来たのだけど、その時はスケジュールの都合でゆっくり見ることができなかったので再訪問。この日は天気も良く、散歩する人やランニングする人などで賑わっていた。

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やちょうもいるよ。かわいいね。

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特徴的なのはこの2つの展望塔。中に入ることもできる。

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屋上からは立山連峰が一望できる。

ちなみに下に見えているガラス張りの建物はスタバ。このロケーションから世界で一番美しい店舗と呼ばれている(いた?)らしい。毎度長蛇の列ができていて入る気にはならなかった。

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展望塔の先にはよく見ると巨大な建物があって、これが富山県美術館。

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公園に来た人を誘い込むようにもっと主張したデザインにすればいいのにと思ったが、これには理由があるらしい。

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元々富山には別の場所に美術館があったものの、老朽化により時代に合わなくなってきたため引越しすることになった。検討の結果、環水公園のすぐそばに建てられることになったが、周囲の風景と調和するような外観を目指し、そのシルエットは公園や立山連峰とのレイアウトまで考慮して設計されているらしい。こういう地味で高尚なコンセプトは様々な干渉でブレていくものだけど、ここではしっかりと成立している。 

まずは夕方になると閉まってしまう屋上施設へ。21世紀美術館十和田市現代美術館じゃないけど、子供が遊べるスペースがある。敷居を低く見せることがこれからの美術館の命題なんだろうか。ただ、先に挙げたものと比べるとアート感は無くて純粋な遊具といった感じ。屋上に遊具を用意して人が来るのだろうかと疑問だったけれど、なかなか賑わっていた。

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 ひそひそ

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あれあれ

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ぷりぷり 

屋内は3階に分かれて展示室があり、その間を絡み付けるようにスロープで繋がれている。前面には縦に長い施設ならではの印象的な吹き抜けがある。

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展示については原美術館の個展も素晴らしかった森村泰昌の企画展を楽しみにしてたんだけど、実は開催日は一週間後だったらしく、常設展しか見れなかった。ここのコレクションかなり変わっていて、「アートとデザインを繋ぐ」をコンセプトにするだけあって椅子を収集しているという。

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実際に座ることもできて、一度体験したいと思っていたアルネ・ヤコブセンのエッグチェアがあった!かわいい!

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富山県美術館は大体こんな感じ。地方の美術館としては建築も面白くて十分なんだけど、お隣の21世紀美術館と比べるとコンテンツ不足が若干気になってしまった。あそこはホワイトボックスの数が多くて、企画展と常設展とは別に並行でギャラリーサイズの展示が複数あったりするし。ただ環水公園にはライブができるような小劇場やプロムナードもあって、この周辺一帯で一つの文化スペースとして見たほうがいいのかもしれない。

良い時間になってきたので、あいの風とやま鉄道で1時間かけて金沢へ移動。

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適当に探した店で寿司を食べるなどしてホテルへ。金沢は鈴木大拙館が一番の目当てだったのだけど、コロナウイルスの影響で市内の美術館が一斉に閉館されたことをこのタイミングで知ることに。覚悟はしていたから驚きこそないものの流石に堪える…。明日の予定を大幅に再計画してひとまず就寝。


20200229 toyama