オブジェクト指向で世界のことを考える デス・ストランディングと蓮沼執太について

小島監督作品ではお馴染みの要素だが、デス・ストランディングには実在するアーティストの楽曲がゲーム内で使用されている。日本人では唯一、星野源の「Pop Virus」が収録されているが、本作をプレイしていて自然と頭の中に浮かんだのは蓮沼執太の楽曲だった。それは両者に体験レベルで共通する部分があるからだと思う。

デス・ストランディングで最も感銘を受けたのは、配送というルールによって全てのオブジェクトをインタラクション対象に変えてしまうゲームデザインだ。アクションゲームのプロトタイプはキャラクターや地形を真っ白な箱で代用して作られるというくらいには、ビジュアルよりもその空間の中でプレイヤーに何をさせるのかが重要になる。本作でプレイヤーがすることと言えば荷物を抱えてただ歩くだけだが、身体の向きを変えたり、傾斜のある道を歩くと、身体のバランスを崩し転倒するというシステムが用意されている。転倒を回避するためにプレイヤーは身体の重心をコントローラの左右のトリガーで調整することができ、これはごつごつとした地面の上を歩いている感触をコントローラ越しに伝えてくれる。そして何よりも、足元の小石から、遠くにそびえたつ山まで、ゲーム内に存在する全てのオブジェクトがインタラクション可能な「そこにある」存在として生き生きと立ち上がってくる効果がある。この目に見える物を虚飾でなくそのまま受け入れて良いと感じさせてくれる体験は、今後のアクションゲームの在り方を変える革新的なものだと思う。本作のストーリーは配達人であるサムが大陸を横断し関係が分断された人々を繋ぐというものだが、これに呼応するのは荷物を運ぶという行為のみでなく、オブジェクトが密に結び付き合うようデザインされた世界の中でプレイヤーが遊ぶことそのものに効いているのだと主張してみたい。

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蓮沼執太は東京出身のミュージシャンで、フィールドレコーディングや、大学での環境学の専攻を経て音楽活動を始めたという経歴を持つ。楽曲に環境音を取り入れるミュージシャンは珍しくないが、彼の特徴はフィールドレコーディングによって培った「あらゆる場所に音が存在する」という感覚を楽曲に刻印しようする点であり、そのアプローチも独特だ。一つ例を挙げると、彼が親交のあるミュージシャンを集めて結成した蓮沼執太フィルと呼ばれるアンサンブルでの活動がある。フィルのライブにおいて、彼は自身の担当パートが終わると突然立ち上がり、演奏をしているメンバーの間をウロウロと歩き始めることがある。恐らくこの時、彼は一人一人が演奏する音が重なって音楽が出来上がっていることを実感しながら、場所ごとの音の聞こえ方の違いを楽しんでいる。ソロではアンビエントというジャンルで活動する彼がアンサンブルを立ち上げたのは、「そこにある」物や人の関係により音楽が現れるという思想から来ている。その思想は言葉でなく、作曲方法や発表方法など行為そのものを介して伝えられる。因みに彼は音楽のみでなくアーティストとしても活動しており、その手段としてインスタレーションを積極的に採用していることも示唆的だ。

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デス・ストランディングと蓮沼執太が共通するのは、ゲーム世界が、音楽が、多数のオブジェクトが関係し合うことで成り立っているという思想である。そしてそれは押し付けがましくなく、例えるなら高度にデザインされた建築物を用意しその中で観客が時間を過ごすような体験を通じて伝えられる。

元々小島監督の作品は、メタルギアソリッドが顕著だがプレイヤーに伝えたいメッセージを登場人物がそのまま言葉で説明してしまうお説教のようなスタイルだったはずだ。それが近年の環境ストーリーテーリングの発達によってゲームの演出の流行は映画的なものから建築的なものに変わった。MGSVはビッグボスの過酷な経験をプレイヤーにそのまま体験させる語り口になり、ついにデス・ストランディングではサム自身にまつわるドラマはほとんど描かれなかった。両者が重なったのはゲームの建築化が大きく進行しているいまこのタイミングだからであり、コジマプロダクションの二作目が出た頃にはまた違う感想になるだろう。

ここからは余談だが、デス・ストランディングと蓮沼執太には他にも共通する要素がある。折角なので以下に並べてみる。

涙について

デス・ストランディングが初めて発表された際のトレーラーにも存在していた要素だが、本作では登場人物たちが不自然なタイミングで涙を流す。これは作中でカイラル・アレルギーと呼ばれる生理現象で、悲しいから泣いてる訳ではない。しかし、成熟した大人が涙を流す姿は内面の想像を喚起させる強烈なビジュアルだ。

蓮沼執太フィルの「ZERO CONCERTO」のMVでは、フィルのメンバーが涙を流す。しかしその理由は映像の上では描かれず、映像の上に流れるテキストには「始発電車が到着するまでの何もない時間があったので涙を流してみた」と記されている。(4:30から)

オブジェクトが発する気配/音について

デス・ストランディングではプレイヤーを手助けする建築物を建てて、他のプレイヤーと共有できるネットワーク要素がある。オープンワールドらしくこれらの建築物は遠くからも見えるように背の高い形状になっている。充電器などはまるで360度スピーカーのような見た目であるし、実際に好みの音楽をセットして鳴らすこともできる。荒野を長く一人で歩いている時に建築物が見えると、他者の痕跡を感じてほっとする。

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蓮沼執太のライブでは全方位型と呼ばれるスタイルが採用されることがある。これは会場の中央に演者が陣取り、観客はその周りを自由に移動しながら音の聞こえ方の変化を楽しんでもらうというものだ。

創発性の喚起について

ゲームは多くの場合、制作側が提示する課題をプレイヤーが解決することで進行するため、本当の意味でプレイヤーから能動的に行動してもらうのは難しい。それは比較的自由に行動できるデス・ストランディングでも同じで、やはり荷物を目的地まで運ぶという目標を達成するための多くの選択肢があるというけだ。しかし建築物を他者と共有できるソーシャルストランドシステムは、「どうせこの建築物を建てるならもっと人通りの多い場所にしよう」といった発想の余地を与えるため、純粋に自分の利益だけを考えて行動するのは逆に難しい。これにより、この世界ではプレイヤーのあらゆる行動は能動的なものに変換させられる。

前述した全方位型ライブのように、蓮沼執太のライブは観客が自分の意思で参加できる余白が用意されていることが多い。2014年に開催された「作曲|ニューフィル」はもっと直接的で、観客が指揮者や演奏者になり、即興で演奏を行うというものだった。勿論純粋な作曲活動とは異なるものだが、音楽の構成要素の一つとなって音楽が成立する過程をその身で体験することができた。

時代への問題喚起について

小島監督はメタルギアソリッドシリーズでは核兵器やゲノム編集などの社会問題を扱ってきた。デス・ストランディングでは、日に日に世界が悪くなっているかのような今の時代の空気をビジュアル化しようとしたためか、時雨、BTといった自然現象が人間に牙をむくという設定となった。

蓮沼執太フィルの2ndアルバムの名前は「アントロポセン」という。これは新しい地質時代として提案された新造語で、人類の活動が地球の生態系に影響を及ぼすところにまで進んでいるという考えから生まれた。蓮沼執太はアルバム発売時のインタビューにおいて、「現代では詩的なアプローチもどこかユーモアを感じ取ってもらえない風潮を感じますし、物事を直接的に発言しないと、しっかり伝わらない気もして、敢えてこの『アントロポセン』と名付けています。」と語っている。

インフラを支える人々へのフォーカスについて

デス・ストランディングの主人公はAAAゲームの主人公としては地味すぎる配達人だ。

「アントロポセン」に収録された「Juxtaposition with Tokyo」のMVでは、解像度も撮られた場所もバラバラな掃除人の映像が並べられている。

両者とも称賛されることはないが、人が快適に暮らすために必要なインフラを支える人々だ。

両面性について

デス・ストランディングでは人の繋がりがテーマになっている。しかし、主人公のサムは接触恐怖症を患っているなど、相反する価値観も提示される。それどころか、本作はソーシャルストランドシステムという他者と協力する仕組みを実装しながらも、物語のクライマックスで活用されなかったくらいには信用されていない。小島監督自身「SNSはしんどい」と公言しているし、忘れられているかもしれないが、かつて彼はTwitterで連日若者へのお説教を披露して棒でつつかれ続けていたのだ。

蓮沼執太は中学生の頃、ヒップホップを爆音で聞くことで東京の満員電車をやり過ごしていたという。それはフィールドレコーディングを重要視する彼のスタンスとは一見一致しない。しかしフィールドレコーディングで取れる音というのは余計な情報が削ぎ落とされるため、実際のその場所の印象とは異なる、洗練された音が録れるものだ。これはカメラで撮った写真が目に見たままの風景と異なる印象を受けるのと同じで、カメラやレコーダーといったデバイスが解釈した世界が写っているのであり現実を写し取っている訳では無い。「アントロポセン」のジャケットは飛行機の窓から見た街の風景が描かれている。そこからは人々の生活感までは感じ取れず、建築物や自然の美しい輪郭だけが見える。

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