20220423 Tokyo Sandbox 2022

復活したTokyo Sandboxを見に秋葉原へ行ってきた。

デジゲー博の癖でUDXに行きたくなるが会場はベルサールの2F。以前セガフェスで訪れた際はかなり広かった記憶があったが、今回はBホールのみの開放でコンパクトになっていた。

以下、印象に残ったものを書いていく。

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20220402

無事に3回目のワクチン接種が終わった。案の定副反応にやられたので、今後のために記録を残しておく。

  • 4/1 15:00 ワクチン接種。武田/モデルナ。
  • 4/1 16:00 副反応に備えて買い込み。この時点では異常なし。
  • 4/1 20:00 食欲は普通にあったので夕食。風邪のひき始めのような怠さがあるが大したことない。
  • 4/2 02:00 悪寒で目が覚める。体温を測ると38度。このまま10:00まで寝たり起きたりを繰り返す。
  • 4/2 10:00 体調が安定。微熱は続いているが読書やゲームができるくらいには回復する。
  • 4/2 16:00 シンデレラ10thを見る。めちゃよかった。
  • 4/3 11:00 10時間睡眠の末に起きた。完全に熱が下がる。買い出しに出たら軽くクラっとしたのでこの日は家で過ごす。

2回目は39度近い熱が出たことを思えば多少マシになったが、やはり休日がほぼ潰れるのは変わってない。この儀式をこれからも半年毎にやらなくてはならないのか…。

儀式そのものは受け入れつつ、引きこもり用の楽しみを用意しておくのが良さそう。(今回はシンデレラライブだった)

20220315 Chim↑Pom展

Chim↑Pom展、会場内にアスファルトを引いてストリート的な公共空間をつくり、そこをワークショップエリアとして開放するアイデアに感銘を受けた。

別日には自分の好きなダンサーであるAokidもここで踊っていたらしい。

良いものを見たなと気分よく帰ってネットを見たら、森美術館での展示を拒否された作品が別会場でこっそり公開されていたらしい。しかも森美術館の入口で申し込みしないと見れないとのことでもう手遅れ。悔いが残ってしまった。

SIGMA dp2 Quattroを買った

もう2か月くらい前の話になるけど、シグマのdp2 Quattroを買った。

自分は別にカメラ好きではないことを踏まえると、このセレクトはなかなか思い切った判断だったと思う。

シグマのカメラというのはとてもピーキーで、特定の条件下では驚くほど美しい写真が撮れる一方、高感度に弱い面があり、光量が足りないとまともに撮影できなくなってしまう。ここで言う光量が足りないとは、「室内で撮る」とか「日陰で撮る」などを指していて、野外でも夕方になって太陽が隠れ始めたらその時点で使い物にならなくなるという、iPhoneのカメラに慣れているような人からすれば信じられないような世界になっている。

これを回避するにはF値、シャッタースピード、ISOの関係を理解して調整する必要がある。少し例を挙げてみる。シグマのカメラは他メーカーと違ってISOを400以上にするとノイズが乗り始めるため、自分は基本ISO100で固定している(いいのか?)。その状態で日陰に入ると光量が足りず画面が暗くなるため、シャッタースピードを落とすなどの対策が必要になる。シャッタースピードを落とす≒露光時間が長くなるためぶれ易くなるので、カメラを固定できる場所を探す、といった具合になる。自分も最初はこの原則が分からなかったので、安倍吉俊氏のブログを読んだり、以下のような図をみて勉強した。

失敗例として以下の写真を挙げてみる。

DP2Q0631

これは一見モノクロ写真に見えるけれども、実は通常モードで撮影したもの。背景に薄っすら見える通りここは竹林の中で、光量が足りないせいで真っ暗になっている。dpでこういった場所で撮影するなら、三脚を用意して長時間露光などしないとダメらしい。

逆に、条件がハマった際のポテンシャルは素晴らしくて、植物であれば葉脈まで見えるほどの高精細な写真が撮れる。

DP2Q0530

遠景も良くて、下の写真は建物に当たった日の光と、陰になっている場所のコントラストがうまく出ている。

DP2Q0398

とまあ、ここしばらくはそんな感じで大量の写真を撮って過ごしていた。

しっかりとしたカメラを使うことで初めて気付くことはあって、最近はボケのことについてよく考える。ボケを使うとなんとなく良い写真が撮れたような気になってしまうが、これは要するに「撮りたかったもの」だけが写真に映り込むため完成度が高く見えるからなのだと思う。しかし、本来は構図が良ければ「撮りたかったもの」は伝わるのであって、安易なボケ使用は思考停止なのではないかと気づき反省した。それにノイズ扱いして隠した部分に面白いものが映り込んでいた可能性だってあるわけで、一枚の写真を楽しむ寿命を長くするのならば、ボケは強い意図がある場合を除いて封印した方が良い気がしている。

例えば以下は抽象的な画になっていてエモいけれど、実は撮りたいものが未定なまま撮影した曖昧な写真。悪くはないと思うけれど、これに頼りすぎるとスキルは上がらなそう。

DP2Q0557

とは言え、「なんだこれ?」と感じる捉えようのない写真に面白さが眠っているのも確かだとは思うので、ルーレットを引く感覚で大量にシャッターを切るのは続けていこうと思う。

DP2Q0774

DP2Q0586

DP2Q0669

20211106 郷本さんの漫画

少し前に、郷本さんの『夜と海』と『ねこだまり』がほぼ同時期に完結した。コロナ禍真っ只中にすべての連載を止めたことに悪い想像をしたりもしたのだけど、その後「楽園」での新連載が告知されて杞憂だったことが分かった。新作を楽しみにしつつ、良い機会なので郷本さんの漫画の話を書いてみる。

先に名前を出した2作は、女子高生の交流を描く『夜と海』、独り暮らしのOLと飼い猫の生活を描く『ねこだまり』と、題材は全く異なる。でもよくよく読んでみると一貫したテーマがあって、どうも郷本さんは「異種族交流」を描き続けていることが分かる。

『ねこだまり』については、人と猫の関係と直接的だから分かりやすい。でも『夜と海』は二人の女子高生の交流の話だから繋がらないように見えるかもしれない。

『夜と海』は世間的には百合というジャンル分けをされているものの、そのつもりで読んでいると器からはみ出ている部分が徐々に目に入る。本作の主役二人は、自身の興味に正直に行動してしまう人物で、学校生活や同級生との交流も、あまり視界に入っていない。 学校で唯一人の水泳部員である彩は、放課後のプールの時間を目的に日々を過ごしており、そこに彩の泳ぐ姿に惹かれた月子が「見学」するために参加するようになる。二人で過ごす時間が増えたことで周囲からは親友か恋人のように見えているが、実際はお互いの連絡先さえ知らず、夏休みにわざわざ会ったりもしないという百合らしからぬドライな関係である。

この関係性が一体何なのかは、作中繰り返し登場するプールで過ごす絵に現れている。水の生き物のように身体を水中に沈めた彩と、プールサイドに足を垂らすより先には絶対に進まない月子が描かれ続けていて、水平線の上側と下側で住む世界が違うことが強調されている。本作は、同じ人間同士でも価値観が異なればコミュニケーションなんてまともに成立せず、それは異種族交流みたいなものになるんだという前提で進行していく。

この温度感が物足りないという人もいれば、逆に息ができるという人もいると思う。郷本さんの漫画は絵的には華やかなのでつるつる読んでいけるのだけど、根底はヤマシタトモコの『異国日記』のようなシビアな作品らと考え方を共有している部分がある。

ちなみに『ねこだまり』は郷本さんのこのスタンスのおかげで自分にとって最良の猫漫画になっている。本作は奇行を続ける飼い猫らに主人公が振り回され続けるというもので、主人公は奇行の理由をひたすら想像してみるけど「結局何も分かりませんでした」というオチで毎回終わる。自分も猫は何を考えているか分からないところに魅力があると思っているので、本作のコミュニケーションが取れなくても一方的に猫を愛でていく感覚にはとても共感してしまった。

まあ、あまり長々と書くのもあれなのでこんな感じで。

次作のタイトルは『破滅の恋人』とのことですが、自分の適当な解釈が外れてオーソドックスな百合になるのか、やっぱりひとひねりあるのかは分からない。単行本出るまで待ちます。

20210725『北北西に曇と往け』を読んだ

人に勧められて読んだ『北北西に曇と往け』が面白かったので感想を書く。端的に結論だけ先に言うと、自然と人間、それぞれへの興味のバランスが取れた良い漫画だなと感じた。

本作は、アイルランドで探偵業を営んで生活する日本人男性の話。アイルランドは人間どころか植物すら生きるのが難しい極端な自然環境を持つ土地である。そこでの生活に馴染めてしまう主人公は車などの無機物の声を聞き取る能力を持っているなど、アニミズム的な思想が作品世界に反映されている。

1巻の時点では、砂漠のような情報量のない世界を端正なキャラクターが歩く絵を見て、アイルランドという舞台はあくまで人間を描くための土台で、自然にはそこまで興味ないのかな、と予想してしまった。でも話が進むにつれてそのバランスは整い、人間と自然を対等に描こうとしていることが分かってくる。アイルランドは土でなく溶岩でできた生き物を拒絶する土地なんだというエピソードも登場し、等しく全ての生命の存在感が際立つ場所として選ばれたことが分かってくる。意外とこの辺りのバランスが取れた漫画ってないので、居心地の良さを感じられた。

じゃあ逆にバランスが取れてない書き方ってどんなの?と言えば、選択したテーマの割に実は自然への興味がそこまで無いだろうという漫画の例として、あfろ先生の『ゆるキャン』が挙げられる。あfろ先生は大好きな作家で以前もこのブログで取り上げたことがあるけど、あfろ先生は現実世界を生きるのは死ぬほど退屈であるという前提を元に、どれだけ面白おかしく日々を過ごせるかを描こうとする作家だと思う。初期作はこれが分かりやすく反映されているので、マインクラフト張りの砂漠のような土地を舞台に、登場人物らがシュールなギャグを永遠に続けるみたいな不思議な話になったりする。『ゆるキャン』では自然溢れる田舎でアウトドアを楽しむ姿が描かれるけど、あれは現実がひたすら退屈であるというあfろ先生の精神世界に一致する題材として田舎の風景が選ばれているだけで、さほど自然そのものには興味がないんだと思う。このため、あfろ先生の描く自然の風景は、時にカメラのレンズを通したかのように遠慮なく歪んでいく。荘厳な自然の風景を、現実感が乖離する風景として捉えて書き直しており、異世界に迷い込んだかのような感覚を読者に与えようとする意図がある。

これは現代人らしい感覚で、多くの人が田舎へ旅行をするとき、その理由がその土地の歴史が知りたいんだなんてことはなく、生活のごたごたを忘れられる非日常的な体験を求めて遠出するのである。あfろ先生の絵は、こういった旅情への欲望がストレートに乗せられたものとして解釈することができそう。一見人を選ぶようで、実は多くの人の共感を得られる描写になっているのが人気の背景にあると思う。

逆に自然の方に興味が寄り過ぎている漫画の例は、適切かは微妙だけど名作『神々の山嶺』が挙げられるかもしれない。こちらはシンプルな話で、作画を担当した谷口ジローは自然も人間も興味を持って書ける人だけど、話自体は山に魅入られた登場人物たちが進んで過酷な状況に入って命を失っていく危険な話だから。特に主人公の羽生は最初から最後まで山が第一優先の男で、恋人や家族を顧みることが出来ないなど、極端な自然へのロマンで作品世界が駆動していく。このため本作で人が山で死ぬときは、ドラマティックな演出などは入れず、記録映像のようにその場で起きたことが誇張無しで淡々と描かれる。

ここで『北北西に曇と往け』の話に戻ると、無機物の声が聞こえるという一見危なげな主人公も、探偵業を営んでいるという設定のおかげで人間への興味を失わない人物なんだと最初から線引きがされていて安心感がある。それこそ、アイルランドに来て遊んでばかりいる弟に共同体の事を考えて働けと一喝してみせるくらいには地に足のついた人物として描かれている。そこに『神々の山嶺』 の羽生を見ている時の不安さみたいなものは無い。

弟はジルベールみたいなビジュアルでびっくりする。 『北北西に曇と往け』5巻より。

だいぶ脱線したけど、本作は、『乱と灰色の世界』のように瑞々しく人間を描く能力を持っている入江亜季さんが、「人間も植物も生きづらいアイルランドを舞台に、全ての生命を等価に描く」というテーマに挑んだことで、バランスの良い作品世界に仕上がっているのが良いと感じた。

感想は以上。本作は現状出ている5巻を読み終わったので『乱と灰色の世界』にも手を出し始めたけど、こちらは完全なファンタジー調になっていて、作風の転換が凄すぎるね…。

20210710 イサムノグチ、八木良太

この日は耐え難い暑さで(30度もあったらしい)、サウナの中を歩いているような危険な日だった。しかしイサム・ノグチ展を予約してしまっていたので上野へ。

久しぶりに上野駅を降りたら公園側の改札口から道路が消えていて、まるで別の場所になっていた。

イサム・ノグチと言えば香川の庭園美術館。いつか美術館を目指しつつ、うどんを食べ歩く旅行をやろうと計画していたのだけどコロナで凍結。実行する前に個展が来てしまった。

展示構成はシンプルで、3つのフロアごとに、ブロンズ、金属、岩と素材で作品を分けている。岩のフロアは庭のイメージになっていて、椅子に座りながらゆったりと鑑賞できるようになっていて満足度高かった。(ここだけ撮影不可)

あと珍しい試みとして、美術館の解説音声システムを使った山口一郎によるサウンドツアーというのがあったので試してみた。(イサム・ノグチ好きの縁らしい)

これは要はDJみたいなもので、3つの展示フロアごとに組まれたプレイリストを聞くことができる。イサム・ノグチの音楽嗜好や活躍した時代を加味した丁寧なセレクトみたいだったけど、堂々と音楽を聴きながら美術館を歩ける非日常さそのものが面白すぎて曲を楽しむどころではなかった!

音声解説って普段使わないんだけど、人混みの中でプライベートな状態をつくれるので鑑賞に集中できるのが良いね。その効果もあってかゆったり見れた気がする。たぶん1時間以上居た。

ネタバレだけど、プレイリストの最後に流れるのはサカナクションの「茶柱」のインストバージョンで、恐らくここでしか聞けないレアな音源ながら、締めは自分の曲なのかよ!と心の中で突っ込んだ。

この日はもう1軒、無人島プロダクションの八木良太の個展も見に行った。

八木良太は大好きな作家で、時間について考察させる作品が特徴。今回も「浦島太郎の宇宙旅行」の名の通り、まさしくそういったテーマの展示だった。

どれもキレキレながら、一番気に入ったのはテープレコーダーを使った映像作品。

広州の風景をバックにテープレコーダーのスイッチを押すと、それに合わせて映像が早くなったり遅くなったりする。背景のおばあちゃんの演舞も激しくなったり鈍くなったりする。何もなくとも日本との時間の流れ方が違うように見える異国の風景が、更に変質して印象が変わる。時おり通り過ぎる人が不審そうな顔でこちらを覗き込んでくるのも良い。(そもそも映像と時間というテーマは相性が良いに決まっているので、もっと変わったのを紹介するべきだろうけど許して欲しい)

会場では過去作をまとめたDVDが売られていたので購入して帰った。

八木良太で比較的有名なのは氷のレコード?氷が溶けるにつれて音楽が飛びはじめる。