20210403 錦糸町/秋水とM-02J

八谷和彦さんの個展を見に錦糸町の無人島プロダクションへ。

錦糸町もえげつないところで、マルイのある大通りから一本裏路地に入ったらあっという間に無料案内所の看板が並ぶ怪しいエリアでヒヤリとさせられた。でも気になる食事処も多い場所で、通りがかりにあった亀戸ぎょうざや満鶏軒はこのご時世に店の外まで行列が出来ていた。

八谷さんは、最近ゲームブログの方でも取り上げた「視聴覚交換マシン」や「ポストペット」などを手掛けたメディアアーティスト。それが最近ではナウシカのメーヴェをモデルにした「M-02J」という飛行機を開発していると聞いて「?」と思っていたのだけど、ちょうど無人島プロダクションでその実機展示をやるということで見に行くことにした。

この日は偶然にも八谷さんの在廊日だったらしく、直接解説を聞くことが出来た。

この展示では、タイトルの通り「M-02J」と同じ無尾翼機である「秋水」を共に紹介する構成になっている。「秋水」はあのB-29の迎撃をミッションとして開発されたが、そのまま終戦を迎え試作機で終わった飛行機。戦後は日本の飛行機産業は徐々に縮小していき、2016年に「M-02J」を含んだ3種の飛行機が開発されたのが歴史の先端となっている。更には「M-02J」以外のプロジェクトは既に凍結されてしまったとのことで、実際に飛ばすことができる機体は「M-02J」のみらしい。そして「M-02J」の設計者である四戸哲氏が師と仰いでいたのが、「秋水」の開発に一部関わった木村秀政氏というつながりらしい。

事前の印象としてはメディアアートと飛行機というのがなかなか頭の中で繋がらなかったのだけど、ジブリの『風立ちぬ』で描かれたように飛行機開発は戦争でもなければ国内では成立しない産業であり、これから失われるであろう技術を拾い集めてメーヴェの形にまとめ上げたのが「M-02J」なのだと捉えると、なるほど面白く感じてくる。

無人島プロダクションは何度か来たことがあったけど、この日は八谷さんが在廊しているのもあってコアな飛行機ファンが集まったのか、普段と違う雰囲気が新鮮で良かった。

20210330 マークマンダースとチーズ

平日休みがもらえたので清澄白河のMOTへ。

せっかくなので3展全部見たけど、一番の目当ては勿論マークマンダース。結局金沢のミヒャエル・ボレマンスとの合同展は行けなかったので念願の対面。

もう圧倒。

事前知識として、この崩れた像も本当はブロンズだし、床の汚れも壁のビニールも全部作家の作業場に見せるための演出というのは分かってる。それでもこの雰囲気にがっつり呑まれてしまった。生で観る甲斐がある。

1Fでは実はけっこう好きな作家な風間サチコが無料で見れた。前にどうしても見たくて横浜の日産アートアワードまで行った「ディスリンピック」もあった。

B1Fでやってるライゾマは予約必須の人気展だったけど、あれは個人的に技術デモかなぁ。クライアントとコラボしないと意味がないというか。

帰りは大幅に寄り道して「チーズのこえ」で北海道産チーズを買って帰った。

が、これが自分の中のチーズの概念が変わるほど美味しかった。食べ物はもっと冒険しないとダメだ…。

20210313 シンエヴァを観た

見た。総合的にはがっかりというのが正直な感想。

自分がシンエヴァに求めていたのは新規性という意味での『シン』で、『Q』で『旧』劇場版にあたる部分は消化したから、ここからは誰も見たことが無いエヴァが展開されるのだと期待していた。それこそ、アニメーター見本市の『until You come to me』で描かれているような廃墟と化した街をひらすら歩き続けるような映画になっても全然良いと思っていた。

この期待は前半部分の第3村パートでは答えてくれている。ジブリ映画の生活描写をそのまま再解釈せず持ち込んだかのような微妙さはあれど、エヴァが意図的に描いてこなかった特撮セット(第三新東京市)の外側へ踏み出しているという意味で解放感のあるシーンになっている。

しかし、律子さんがゲンドウに向けて発砲した以降の展開は基本的に旧劇場版の焼き直しになっていて、巨大綾波や精神世界パートまで再現してしまう。勿論『破』のようにそのシーンの意味をオリジナルから書き換えることはしているのだけど、完全に新しいものが見たかった自分としてはあくまで反復なのかとガッカリしてしまった。

そもそも、旧エヴァンゲリオンが作品世界を解体しようとしたのは庵野監督が当時のアニメーション界隈の閉塞感に不信を抱いていたからであり、そうせざるを得ない動機があった。でも、庵野監督は責任を持った作品作りをするためのに自身の会社を立ち上げて、新劇場版はヴァーチャルカメラを導入するといった制作手法レベルでの慣習からの脱却を実現している訳で、今の環境で巨大綾波や精神世界パートを無批判に再現することに面白がれる部分も無く、無味乾燥な時間が流れているように感じた。どうせ実験的な映像にするなら、最後の実写映像に3DCGで描かれた人物を被せたパートを長尺でやるとかの方が良かったと思う。あれはアニメーションがオタクのものでなくメインカルチャーになった2021年の光景と一致した絵面なので。

とは言え、各シーンを分解してみれば見どころのある映像だらけで、シリーズの完結として尻すぼみなだけで、2時間半全く退屈させない良い映画だった。2回見ました。

20210221 第13回恵比寿映画祭と新千歳空港国際アニメーション映画祭短編特集2

日曜日。前日はMLE(私も一日目で参加!)を見ながら日曜日締め切りの作業を進めていたら結局3時までかかってしまった。眠気をこらえながら最終日の恵比寿映画祭を見に東京都写真美術館へ。

本当は何度か訪問して色んな上映作品を見たかったのだけど、状況が状況なので今年は一本に絞って『新千歳空港国際アニメーション映画祭 短編特集②―感覚を研ぎ澄ますアニメーション』を見た。

短編特集となると普通は相性の良い作品とそうでないものが両方出てくるものだけど、全作きちんと見どころがある素晴らしいセレクションだった。忘れないように印象に残った作品をピックアップしておく。

サミュエル・パシー、シルヴァン・モニーの《エコース》。老人ホームで暮らす人々の生活を描いた作品。皴が刻み込まれた老人らのゆったりとした時間の流れにフォーカスを当てていて、その動作を巨人が動いているかのように演出していくのが面白い。ラフな線と題材の相性が抜群で、また実際の老人ホームでサンプリングしたんじゃないかと思われる立体的な環境音も効果的だった。

マリアム・カパナッツェの《アバンダント・ヴィレッジ》。この作品がヤバいのは、上記の画像に映っている一枚絵のみで進行していくこと。この荒涼とした街の様子を、霧のエフェクトを重ねたり、絵のコントラストを変えて本来の鮮やかな色調を見せるといった演出だけで、時間ごとの街の表情を見せていく。14分の上映時間を(退屈させずに)これだけで成立させている。かなり衝撃を受けたのだけどネットで作者の名前をカタカナで検索しても全く情報が出て来ない。日本では殆ど紹介されてない作家なのかもしれないと思ったものの、どうも作者が1991年生まれとのことで、見つけられないのは本当の新人だからということらしい。どういう経緯でこれがいきなり出てくるのか…。

英語名で検索したらトレーラー?が見つかったので載せておく。

その他、ふるかわはら ももかの《かたのあと》、エイドリアン・ミリガウの《ゲニウス・ロキ》も気に入った。アニメーション界隈は才能に溢れた日本人作家が次々と登場していてすごい。

展示も見る。去年は一つ一つの展示が1時間級の映像作品というのもざらで、満足度も高いが時間もかかるというハードコアな内容だった。それに対して今年は断片的な視聴でも十分楽しめる作品が集まっていて、昨今の事情を踏まえてなのか去年の揺り戻しか分からないけれどすいすい歩いていける展示だった。

中でも印象に残ったのは、この記事のアイキャッチにも使っているチャンヨンヘ重工業の作品。上記の動画の通り、チャンヨンヘ重工業は音楽に合わせてテキストを出していくだけというスタイルの映像を制作している。映像の分野は一般的に言語に頼らず絵の力だけで説明しきることが良いとされることが多く、このスタイルは一見逆張りに見えてしまうものだけど、自分としては音楽に合わせて何かが現れるだけで気持ち良いよねという映像のプリミティブな快楽を追求している作品と捉えてポジティブに楽しんだ。

最後に日仏会館で渡辺豪の《積み上げられた本》を見たけどこれも良かった。

CGで描かれた本(本物と区別が付かない)がスクリーン一杯に映し出されているだけのシンプルな内容。と見せかけて、実際は2列に積み上げられた本のうち片方だけがフレームの下へ沈んでいくといった現実ではあり得ない動きをしたり、光源の変化によって特定の本の色付きだけが変わっていくなど、完璧に現実を模倣しきった筈の3DCGに違和感を加えるような変化が画面に現れていく。演出の意図などはあまり分からなかったものの、あえて不気味の谷を見せているかのような面白い映像だった。

恵比寿映画祭はこれで終わり。天気も良かったので、周辺をちょっとだけ散歩してから帰った。

20210211

今年も恵比寿映像の時期になった。今回も現地上映は細々とやっているらしいけど、去年みたいに何度も通うのは難しそう。

仕事をしながらオンラインで配信しているラウンジトークを聞いていたのだけど、その中で「SAVE the CINEMA」の話があった。https://www.yebizo.com/jp/program/detail/2021-05-02

日本で配給されている映画の売り上げの殆どはシネコンによるものだけれど、映画の種類という観点では4割はミニシアターが配給しているものらしい。つまり日本の映画の多様性はミニシアターが担っていて、潰れると約半分の映画が見られなくなってしまう。確かに自分も以前はイメージフォーラムやユーロスペースに通い詰めていたので感覚的にも正しい数字に思える。そんなこと言いながらもう一年くらいミニシアター行けてない。コロナが終わった後、焼け野原になっていると本当に困るけどどうなるんだろう。

明るい話もすると、ストップアニメーションの講演でモルカーで大人気の見里朝希監督が登壇してた。
https://www.yebizo.com/jp/program/detail/2021-15-01

初めて聞いたけど見里監督はビデオゲームが好きらしく、ラスアスなんかもプレイ済みらしい。近年のアニメーション作家がビデオゲームを作る流れも把握しているらしく、ビデオゲーム界隈との交流が実際に過去にあったことも話していた。(東京藝大卒の筈だからVerticalSliceの件か、その後普通にきっかけがあったかどうなのか)

監督のYoutubeを見ればわかるけど、フェルト以外の素材を使ったアニメーションもどんどん手を付けている人なので、ビデオゲームと言わずとも次作がデジタル由来な表現に接近する可能性もあるかもしれない。

20210130 プロメテウス

土曜日。10時に起きるも連日の深夜作業で明らかに身体にダメージが残っている…。若干うとうとしながら万有引力の公演を見るために新井薬師へ。私用で電車に乗るのは今年初めてで、それくらい万有引力の演劇は楽しみにしている。新井薬師は中野の北側にあるのだけど、中野駅前の喧騒が嘘のような静かな場所で驚いた。人の多すぎない商店街をずーっと進んでいくと会場のウエストエンドスタジオがあった。

ただ、感想としては万有引力の公演で初めて微妙かなと思ってしまった。まず劇が始まって驚いたのが、今回の『プロメテウス』はSF世界観になっていて、それもディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』が原案になっていること。SF自体はむしろ好物なんだけど、演出スタイルもそれに引きずられていて、平沢進がライブで使っていそうな電子ハープを持った指導者(?)が現れたり、アンドロイドの射殺シーンではレーザーポインターを使って銃を表現したりする。でも万有引力の一番の魅力は演者の鍛えられた肉体を見せつけることだと思っていて、時には肌を晒しながらコンテンポラリーダンスのような常人にはできない動きを生で観らることに大きな価値がある。『プロメテウス』はSF故にそういった場面が少なくて、消化不良感が否めなかった。(たぶん自覚はあって、プロメテウスが登場する神話パートでは上半身裸の男性が鎖に縛られている姿を拝むことができた。でもそれは本パートではないという・・・。)

でも一番気になったのは、演劇で『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』をやるのはヨコオタロウ氏が『ヨルハ』と『ニーアオートマタ』でやったばかりで既視感しかなかったことだよ! 演劇で『電気羊』をやるのは、アンドロイドが殆ど人間と同じく感情があるかのように振る舞えることが、演劇において演者はそのキャラクターを演じているだけで演者自身の感情ではないということに重ね合わされているという面白さがあるんだけど、それはヨルハで既にフォローしている。(人間とアンドロイドが共同作戦を展開するなかで、アンドロイドにも感情があるようにしか見えなくなる) 地球を捨てた人類とか、『ブレードランナー』でリドリー・スコットが無視した原作のプロットを拾うのもやっぱりヨコオタロウがやってしまっている。とにかく重複している内容が多くて、新鮮味の無さになかなか劇の世界に入っていけなかった。(ニーアの事を知らなかったら、いつもと違う万有引力が見れた!くらいの気持ちで楽しめた気もする)

でもこれ、たぶん万有引力が昨今のニーアのヒットを見て真似たということは無さそうで、逆に万有引力の人達が全くビデオゲームに興味が無かったからこそ被ってしまったのでは、と想像すると鬱々してくるものがある。うーん。

帰りはShugoArtsに寄ってリー・キットの展示を見た。プロジェクターの使い方が面白かった。

20210109 ライブ配信と熱

三連休一日目。

歯医者に行ったついでに食料品を買い込み、後は家でOutwardを遊んでいた。正月から始めたのに既にプレイ時間が40時間を超えてて、いい加減DLCを買おうかと迷ってる。Outwardの良さを語る記事とかやる気が出たら書いてみたい。

f:id:snowtale_05:20210110003413j:plain

夜はギリギリでチケットを買ってシンデレラガールズの正月ライブを見た。この1年は色々と配信ライブを見て良いものとそうで無いものがあることに気づいたけど、その中でも満足度が高かった。

先に微妙だった方の配信がどんなものだったかを挙げてしまうと、やっぱり録画映像を流していくタイプのもの。当然ライブならではの熱みたいなものは無いよね。でも本当にキツかったのは、ライブと称した配信なのに、チケットを買って見てみると明らかに編集の入った録画映像をストリーミング配信しているというやつ。このパターンに遭遇してしまうことが意外と多かった。中には録画でしか出来ない凝った演出をするものもあったけれど、だったらセルでダウンロードさせて欲しい。

逆に良いなと思ったのはスパイラルホールが関わった配信で、その中でも蓮沼執太フィルの『#フィルAPIスパイラル』が特に良かった(このブログで蓮沼執太の話し過ぎだろ)。そもそも蓮沼執太はアート側の活動で野外や公共施設でその場所に即した音を鳴らすことで特定の感覚を喚起させるという作品を作っている人なので、当然オンライン配信だから出来ること、零れ落ちることを盛り込み済みで企画している。このイベントも”API“の名の通り、ダンサーのAokidが会場の外で踊る姿が『Raw Town』の演奏中に割り込んできたり、Zoomを用いて視聴者の部屋を配信で流してしまうなどの演出がリアルタイム編集で行われる。

でも何より良かったのはコロナ禍で失われた風通しの良い空間を作ろうとしているところ。このイベントでは多くのゲストが参加していて、それもダンサーであるAokidからアイドルであるRYUTistまでいるなど、ジャンル横断的なメンバーを選出している。それに出演者は皆マスクを着けておらず、この会場限定で自由に人が会えた以前の世界が戻っているかのように見える。恐らく同じく沢山のゲストを招いた日比谷公園ライブのコンセプトを今風にアップデートにしたのだと思う。


蓮沼執太フィル オンライン公演 #フィルAPIスパイラル|Shuta Hasunuma Philharmonic Orchestra #phil_api_spiral


Shuta Hasunuma Full Philharmonic Orchestra / FULLPHONY (Live at 日比谷野外大音楽堂 2019.08.25)

それでシンデレラガールズのライブの話に戻るけど、無観客ライブでも客側は問題なく楽しめると思っていて、でも空っぽの幕張メッセの前で歌う演者側はモチベーション的にかなりきついのでは…と気になっていた。これについてイベント後にアイマス公式チャンネルでの配信で触れられていて、実は客席に巨大なスクリーンが仕込まれている。ここにはバンナムの配信インフラである”アソビステージ”の機能と連携して、視聴者がブラウザ上で操作したサイリウムの絵が映し出されている。アイマスライブでは演者や楽曲の内容に合わせてサイリウムの色を変えるという文化があって、それがバーチャル上で再現されている。


【AP生配信】【DAY1】THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS Broadcast & LIVE Happy New Yell !!! 終了後感想会【アイドルマスター】

これについて、気休め程度にしかならないんじゃないかという意見はあると思う。でも、そんなものが無くてもプロフェッショナルならやりきれるだろうと切り捨てるのではなく、可能な手段を尽くして参加者全員が気持ちよく仕事ができるように動いていく態度が、熱を失わないために重要なんだろうという気がする。それが出来なかった現場だってどこかにあっただろうとも思う。

ライブ自体はいつも通り素晴らしかった。ライブ熱が高まってきて、なーはーの曲が無性に聞きたくなってきた。なんで7th行かなかったんだろう…。

20210108

広告を消しに来ました。
とは言えサボっているのではなく、最近はtumblrでやってるゲームブログの方の更新で忙しかった。
・私的GOTY2020 – snowtale_05の隔離メモ

毎年恒例のGOTY記事だけど、2013年から途切れてることなく続いているようで我ながら頑張っていると思う。(ビュー数や反応は年々減っているけど)

 

ツイッターを眺めていたら、朝日さんが新曲をアップしていた。それも久しぶりの石風呂名義で。

コンテンポラリーな生活と石風呂としての活動が終わった後、ネクライトーキーに移行してからはあっと言う間に火が付き、朝日さん的には今が一番脂が乗ったタイミングだろうに、コロナ禍で2020年のツアーは殆どが中止になってしまった。最近では小規模で開催できていたものの、この正月の状況を見る限りフィジカルなイベントはまたしばらく厳しそう。そんな最中に作られたこの曲の内容は心中察するに余りありあるものがある。

コロナと少女と言えば、大槻香奈も一度は停止させていた少女モチーフの作品を復活させていたのを連想してしまった。ふり返ること、アップデートすることをせざるを得ないのかもしれない。

 

20200913 ノーライフキングを読んだ

思いの他刺さって一晩で読んでしまった。

ノーライフキング』はいとうせいこうの著作で、早い時期からビデオゲームを取り上げた小説として紹介されることがある。糸井重里ドラクエに影響されて『MOTHER』を企画したように、本作も編集者気質の人たちが新しいメディアに反応した流れにある一つだろうと想像していた。しかし、読み進めていくと意外にもビデオゲームに対する踏み込みは浅くて、噂や都市伝説が蔓延した90年代の空気へ言及する物語だった。音楽好きの人ならこの説明でピンと来るかもしれないけれど、要するに『噂だけの世紀末』の小説版とでも言うような内容になっている。


『噂だけの世紀末』は、以下に引用する歌詞のように、ノストラダムスの予言といった終末ブームで盛り上がる流れを痛烈に批判したラップ楽曲だ。

2001年に誰もが思った こんなことならやっておけた
日本初めての世紀末は噂が作る噂のクズだった

一方、本作のあらすじは、人気ビデオゲームノーライフキング」に纏わる不穏な噂が子供たちの間で蔓延し、やがて大人たちへも影響を与えていくというもの。初見で読み進めていたとき、『噂だけの世紀末』の歌詞を踏まえて、いずれは噂が霧散するような展開を予想していた。でも実際はその逆で、噂を信じる子供たちが極限状態に至ったところで話はぶつりと終わってしまう。悪い言い方をすれば、批判していた筈の終末思想に乗っかった作品群の一つになっているようにも見えた。(まあノーライフキングは噂だけの世紀末より先に出ているんだけれども)

なぜこうなっているかを考えると、本作の興味が終末思想へのカウンターにあるのでなく、その噂が蔓延する構造を解き明かすことに向いているからなのだと思う。

ノーライフキング』は基本80年末の空気感を再現することに注力していくけれど、大きく創作している点として、噂は子供たちから生まれるものとして描いていることがある。この小説における子供たちとは、デジタルなツールに適用した人間の代表だ。子供たちは新しいメディアであるビデオゲームで盛り上がっているし、塾ではパソコンによる授業が行われ、生徒らは講師に隠れながらチャットを楽しんでいる。そしてここからが『ノーライフキング』の予見性のある部分で、対面ではない、デジタル上の高速なコミュニケーションを伴う生活を続けることで、子供たちは無自覚ながら徐々に共同体としての意識を獲得するようになり、そこから噂が生まれていく。

これはいまで言うと、ツイッターでのクラスターのようなものだと思う(もう死語になってる気がするけど)。タイムラインに流れる大量のコメントを眺めるうちに同じような嗜好を持つ人に気がついて、いつの間にか連帯を意識するようになる感じ。こういった共同体を育てたり可視化する役割は、以前は雑誌やTVといったメディアが担っていたんだろうけれど、ITの発達でそれらが民主化されることをいとうせいこうは予言したかったのだと思う。

ただ、その予言が実現した2020年にこの本を読んで面白いのか?というツッコミはあるかもしれない。それでもこの本が楽しめたのは、テクノロジーに翻弄される人間の話、つまりSFとして綺麗にまとまっているからなのだと思う。子どもたちだけに噂が見えて、大人はそれに関与できないという分かりやすい構図も、次の世代のための物語として普遍性がある。また、子どもと大人の断絶の末に人類の終わりがやってくるという展開は『幼年期の終わり』にも重ねられていて、名作SFのオマージュになっているのもよくできていると思う。

ノーライフキング』は小説家としてのいとうせいこうの処女作というのもあって、稚拙な部分も少なくない。時々、登場人物の心情を地の文でごりごり書いてしまったりするのは正直目に余った。それでも、この話を単なる未来予測にはせず、寓話性を高めて出力しようとするバランス感覚がこの小説を佳作にしているのだと思う。

とても面白かった。

20200807 展覧会でよかったやつ

最近の展覧会で印象に残った作品のメモ。

ビットコイン採掘と少数民族のフィールド・レコーディング/Liu Chuang

東京都現代美術館「もつれるものたち展」

ビットコイン採掘場がPCの騒音を掻き消すために水力発電所の近くに建てられているという話をきっかけに、SFめいた人間とテクノロジーの話が展開されていくというやつ。史実のみでなく『未知への遭遇』や『惑星ソラリス』の引用など、フィクションからノンフィクションまで大胆に横断してみせる心地よさがあった。

Mr.Tagi’s room and dream/ザ・ユージーン・スタジオ

21世紀美術館「de-sport : 芸術によるスポーツの解体と再構築」

ドラムを演奏しながらチェスを指すという架空のスポーツに挑む様子を撮影したもの。演奏とチェスのルールがどう絡んでるのかは見ただけではさっぱりなんだけど、色々想像してみるのが楽しい。軍略と音楽の組み合わせはパタポン辺りを思い出したりもした。実際、こういうビデオゲームがあっても良いかも。相手の手を待つ間にチェス盤にペインティングができてそちらの技能点を競うみたいなやつ。

<30sec>シリーズ/菱田雄介


東京都写真美術館「あしたのひかり 日本の新進作家 vol.17」

以前このブログで棒立日記という動画を紹介したことがあったけれどこれに似ていて、様々な人の立ち姿を30秒かけて撮影していく連作。恐らく被写体となる人物には真顔で立ち続けるよう依頼しているのだろうけど、徐々に瞬きや体の揺れが現れてくるのが愛らしくて良かった。

音を消した状態#22:音を消したチャイコフスキー交響曲第5番/楊嘉輝

MAMコレクション012:サムソン・ヤン(楊嘉輝) | 森美術館 - MORI ART ...

森美術館MAMコレクション012:サムソン・ヤン(楊嘉輝)」

アンサンブルの演奏を映した映像作品。実は奏者の楽器は弦にテープを張るなどして音が出ないようにされていて、スピーカーから何かが擦れるようなノイズが鳴り続ける。蓮沼執太や宮坂遼太郎のパフォーマンスで、楽器ではないものを自在に扱って演奏をするというのがあるけど、この逆パターンの方法で似たことをやろうしているのが面白かった。

おわり。書き終わってから気づいたけど全部映像作品だ…。

 

追記:2020/08/16

一つ書き漏らしていたので追加。

マルチチュード/アンドレアス・グライナー

横浜トリエンナーレ2020

今年の横トリは長編の映像作品や参加型作品などが多く、よくスケジュールを練っておかないと見逃しが発生する初見殺しな内容だった。そんな中、プロット48で閉館時間ギリギリの回で見れたのがこれ。

夜光虫を閉じ込めたポリケースを自動演奏ピアノの弦の上に置き、部屋を真っ暗にする。演奏が始まると、ポリケースと接触した弦が叩かれることで夜光虫が一瞬青く光る。面白いのは、概要のみだと「夜光虫きれい~」な作品に見えるけれども、異物を乗せた弦の音は鈍い炸裂音のようなものとなり、むしろ夜光虫の光はノイズとか摩擦といったものを可視化したものとして演出されているように見えること。自動演奏される譜面は、このノイズも曲の一部となるように苦心して設計されているように感じた。今年の横トリのコンセプト(ディレクターのメディア・コレクティヴはソース”と呼んでいた)の一つには「毒との共生」があり、その流れで採用された作品なのではないかと妄想した。