20260619
ブラックホールの「シラート」特集で登場した映画「GRASS」が気になったので眺めていた。
こういう広大な大自然を移動するだけの体験をゲームに出来ないかといつも妄想してしまうが、そのベストは「デススト」や「Outward」で、恐らくもう伸びしろはないのだろう。あるとすれば、商業性のために導入された分かり易さを外すことだろうか。
そういえば「デススト」のリファレンスとしてやっぱり「恐怖の報酬」は挙げられていて、開発スタッフにも見せたらしい。ゲーム内でタールだらけになりながらトラックを押すような泥臭い瞬間があったかというと、あまりなかったりもするのですが。
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今日から黒沢清と濱口竜介の新作が始まるが、週末はいろいろあって行けそうにない。
20260620
ライヒとローザスが連続で見れるという最高の行事のためさいたま芸術劇場へ。駅から会場へ迷わず辿り着けるよう専用の歩道(正式名称アートストリート)が用意されていた。田舎出身なのでこの地方都市っぽさに感傷的になってしまう。


まずは大ホールでローザス、アトラファイブ。
アナウンスなしの突然の完全暗転から始まり、舞台の壁面に配置された蛍光灯の点滅でプロローグが進む。薄暗い中ダンサーが登場してスタート。
四人のダンサーが異なる振り付けで、しかし互いに関係し合うように動いており、技巧的なカルテットのようだった。
テーマはヴィヴァルディの「四季」なのだが、音が鳴らない時間が半分を占める。むしろ無声の時間の方がダンスの振り付けが細かく、それだけで間が持つように密度を上げている。「四季」の1番有名なフレーズが鳴っているときは8の字歩きで済ませていたのは笑った(手を抜いている訳ではもちろんないだろうが) 。
四人のダンサーは微妙に資質が異なっていて、黒人のダンサーが飛び抜けてタイトで美しく感じた。白人の方はゆったりした柔らかい感じ。一人ストリートダンスをしている人がいて、華麗なヘッドスピンを決めていた。それクラシックと馴染むんだ…。
次はライヒ90 『2×4×6』。
ホワイエに入ったらウェルカムパフォーマンスで「MUSIC FOR PIECES OF WOOD」 の演奏が始まるところで一気に人が増えてわちゃわちゃに。新メンバーが階段を下りながら参加して人数が増えるという演出になっており、立体的な音響が楽しい。
今回は小さい楽曲をいくつも演奏していくセットリスト。どれも生では初めて聞く曲。
最後まで聞いて思ったのは、長尺の作品の方が好きということ。自分はライヒ作品に音のモアレで整う時間を求めているみたい。
とか言いつつ、一番気に入ったのは「FOUR ORGANS」。電子オルガンのところてん的なASDRで聞くライヒが新鮮。コーネリアスっぽさもある。

演奏会が終わると会場の外は土砂降りで激寒い。思わず帰り道にあった味噌ラーメン屋に駆け込んだ。味は普通だったが落ちつく。
20260621
忙し週末の二日目。まずは座高円寺で万有引力の「阿呆船」を。

50年前に披露された作品の再演。
序盤はいつもの万有引力で、全く異なるエピソードが平行に進む。しかし、割と序盤で二人の男が現れて、片方が眠ると片方が目覚めるというスワップ構成が明確に提示される。デヴィッドリンチ好きにはお馴染みの設定。その正体はアルターエゴであることがしっかりと提示されるなど、観客を迷わせない作りになっている。
座高円寺の高い空間を生かして、高所に陣取った演者が操り人形のそうえんをしているなど、テーマを感じさせる意匠がしっかり作られている。とは言え広さを持て余している感もあり、スズナリのような小劇場のほうが自分は好みかも。
驚いたことにラストではハッキリとした落ちがつく。それはマザコンの寺山修司らしいもので、母親と同衾する自分を受けられず、自我を二つに分割することでぎりぎり正気を保っていたというもの。これまでに語られたバラバラのエピソードが主人公の壊れた内面を表していたことが分かる。難解な万有引力に慣れており逆に戸惑ってしまったが、明確なカタルシスがあるのも普通に楽しい。
主人公の片方は死んでしまうので、これから苦しい現実と向き合わねばならないが、目が覚めたという意味ではハッピーエンド。
リンチや須田剛一もこういうシナリオを書くが、源流はどこにあるのだろうか?
ちなみに俳優さんでは少女趣味の人形が気に入った。椅子に乱暴に放り出されてぐらんと座り込む動きに感動。
以前見た「せむし男」同様、初期寺山は物語が直球で飲み込みやすい。それ故に思考停止し易いので、舞台装置や演技に注目しながら楽しまないといけないなと思う。
物販を見たら万有引力のCD Vol.5があったので購入。このシリーズは買い集めてるつもりだったが、Vol.4飛ばしたっぽいな。。
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間髪入れずに渋谷へ。WWWXでblack boboi。

八年前の森道で見た以来。
真っ暗な会場で緞帳が左右に開いてスタート。照明を最小限に絞った暗い環境のまま続行。ドラムマシンのビートの上に、スティールパンとボーカルが乗る。ソリッドでカッコいい。
1時間と10分くらいで終わってしまった。アンコールもなしで挨拶のみ。小林うてなさんはステージに戻るつもりも無かったようで、メンバーに手招きされてやっと登場していた。
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移動時間で「「書く」ことによる学生の自己形成」を読み終わる。有村さんのC4P繋がりで読んだ本。
作品作りを通して自己を物語化して客観視することで、内なる自分像を発見するまでは成る程と思うが、授業で完成した文章は人生における過去のトラウマの披露ばかりになっていた。それを授業で他の人に聞かせるのか…。
一人だけ「他人に自身の悲劇を聞かされるのが苦手だ」という文章を書いている人がいたが、静かな反抗だったのではと邪推してしまう。
人間関係の悩み以外の作例をもう少し見たかった。
しかし、学生が「自分の意見」を持ってないという話はなかなか怖かった。確かに自分が学生のときは、学校という場が合わず日々を生きるだけで必死で、動物的に日々を生きていた気はする。今も似たようなものだが、ビデオゲーム開発やレビュー、ブログ更新を通して、自己を客観的に見る力は多少鍛えられたかもしれない。
あと、この物語化は正しく使えば自身を成長させるかもしれないが、使い方を間違えると歪な人間を生む可能性がある。寺山修司の演劇で良く取り上げられるが、誤った物語を使って、商品を売ったり、陰謀論を広めたり、歴史を改変することだってできる。そんなでかいスケールの話じゃなくとも、下手な自己啓発で、自分の弱さを直視しないで済むためのスケープゴートのような物語を作り上げてしまわないよう気を付けた方がいい。
実際このブログのことを自分では嘘だと思っている。見せたい自分を切り取っているわけだからね。
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2日フル稼働してボロボロ。来週乗り切れるだろうか…。
20260622
「星野源論」を読み終えた。
星野源とは淡々とリリースされた楽曲だけを聞く関係だったので、本当にテレビサイドの星野源を知らない。おげんさんが生放送番組だったとは初めて知った。松重さんとの「おともだち」に大ハマりして何周もしているので、音楽公論やおげんさんも見てみたい。
ニセ明はFakeで知って正直冷ややかな目で見ていたが、療養からの復帰ライブでシリアスな空気を回避するために生まれたという経緯を知らず、見え方が変わった。Genの音楽性もそうだが、昔から自分の見え方を意識的にコントロールするタイプの人だったのか。
つやちゃんの音楽サイドは、この本にふさわしく王道のポップスとの距離感という題材で書かれている。ただ、素直に各アルバムの音楽的ルーツの解説や、楽曲分析があると思ってたのでちょっと肩透かし。グルーヴへの言及はあるが抽象的なテキストで想像が難しかった。
ネットで星野源の曲のコード譜を出して弾いてみたが、やったことがないコード使いがあり「おっ」と思う。私はデータベース派になる才能は無いようなので身体で覚えた方がいいのかも。
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仕事終わりに「黒牢城」。引きのショットで城がしっかりと切り取られていて、映画館を出てからも部屋の間取りを思い出せる。黒沢清の時代劇がどうなるか予想もつかなかったが、建築を面白く撮る才能がここで発揮されるとは思わなかった。ロケ地は明石城、滋賀、京都など、様々な場所が選ばれておりパッチワークで出来ているそう。
濱口竜介の方は、今週も週末に予定が詰まってるのもあり、見に行けない可能性が出てきた。いつまで上映やってるんだろう。
20260624
tofubeatsのパラデータ解説に新作が。感謝の気持ちで45分の講義を完了。